第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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「ふうん・・・そんな洋行帰りみたいなこと言ってたんだね、ディアーヌの奴。でも、三味線の音とあいつの顔の取り合わせなんて想像できないよ」 「巴里に食傷した帰朝者は却って御国贔屓に傾くものだけれど、きっとディアーヌもその類よねえ。何せあの()ときたら」 「巴、里より遠い、月世界の、住人・・・だもの、ね。たまには、日本、が、恋しく、なるの、かな? でも、知らなかったな。ディアーヌの、日本趣味(ジャポニスム)」 「でもやっぱり月に還ってしまうのよねえ。日本人であり月人であり、そのどちらでもないようで。そうよ、ボヘミア人よ、あの娘は。そうだわ、ボエーム。ラ・ボエームだわ。 ほほほ!ボヘミアが空の上に在るなんて知らなかったわ。いいえぇ、それより。ミミ嬢より先にくたばっちまうロドルフォなんて不可ないわよねえ。 遅かりしミミの助って?忠臣蔵よ、そりゃ」 友の遺訓に触れたジュスティーヌ達は散々な棚卸しを存分に愉しみ、やがて喪の宴には相応しからぬ快活な笑声を弾けさせた。 何よりも沈黙を恐れる美しきクルチザンヌらは、百万遍の数珠繰りの如く熱心に昔語りの輪を紡ぎ続けている。 未だ結実せぬ奇跡─狂せるかぐや姫の昇天を成就させる為に。 「成程ね・・・こうして皆で思い出話に花を咲かせると、故人の意外な一面に出逢えるものだよね。 亡くして初めて本当の姿を知ることが出来る人もいるものだけれど、ディアーヌさんもひょっとしたら、そんな人なのかな? こうして皆が、自分の遺した謎と〝対話〟してくれるのを嬉しく思っているかもしれないね」 乱れ咲く無邪気な悪口(あっこう)の花の只中で、窘める権利も同調する資格も持ち合わせぬ青嵐尼は、斯く穏当な発言を以て居心地の悪い黙り坊(だんまりぼう)の地歩を逸さんと試みた。 「馨、今の内にしっかりお食べなさい。 お腹の虫が騒いでは格好がつかなくてよ? それにしても貴方のお寿司、とても美味しいわ。 早く取り分けないと青嵐さんが全部食べ尽くしてしまうわよ」 観測者たる私は、職務に専心する馨に料理を勧めつつ、会話の着地点を注視し続ける。 果たして、此のあざれあいの泥の内から奇跡の蓮華(はちす)が花開く事は叶うかしら?   もしも、ジュスティーヌ一行の〝百万遍〟が世界の沈黙を開く宝鑰(かぎ)たらねば。 如何なる妙法を以てすれば、私はこの湊から月世界への舟送りを成就させられるかしら? あくまで万象が黙し続けるならば。 私は、託宣の巫女を演じねばならない。 その(とき)─私の身体(うつせみ)は、神を導く装置。 そして私の言葉は、他ならぬ神の意志となるのだ。 「ああ・・・そうですわ。 日本趣味(ジャポニスム)といえば、お姉様はこんなものも」 不意に思考に終止符(ピリオド)を打つのは、セリーヌの声。 かの狂信女は、マリアンヌ達の手酷い棚卸しは他ならぬ姉君に捧げる親愛と惜別の証と観念したらしい。 もはや朋輩らの戯れ言に立腹する事なく談笑の輪に加わる彼女は、(おもむろ)に一冊の和装本を参会者に示してみせた。
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