第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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舞台は、中秋の夜。 遥々東国から上洛した僧侶が、六条河原院に辿り着くわ。 そこに姿を現すのが〝潮汲み〟を名乗る不思議な翁。 彼は此処が、かつて左大臣源融が暮らした邸宅の廃墟だと語り出すの。 陸奥国塩竈の浦を模した河原院。 此処で融大臣は、難波から運ばせた海水で池を満たし、豪奢な御遊を楽しむ日々を送っていた。 しかし、融大臣が薨じて後は邸宅を受け継ぐ人もなく栄華を誇った河原院は無残に荒れ果ててゆく。 奇しき乾闥婆城だったのかも知れないわね、河原院は。かつて雲客達が塩焼の煙の彼方に幻視した未知の国の海景と同じ様に。  嘆く翁だったけれど、河原院から見える音羽山から嵐山までの名所を教えたり潮汲みの所作を見せたりして、旅の僧との会話を弾ませるの。 そして彼は突然、姿を消す。 独り廃墟に取り残された僧は、 ─大丈夫よ。食べられるものですか。 親切な近所の住人から河原院の来歴を教えて貰う事になるわ。 ─心外ね。くどい、ですって? 信頼できる証人は必要でしょう。 貴女たちは、幽霊の言うことに素直に耳を傾けられるような素直なハムレットだったかしら? それで、旅の僧はようやく悟るのよ。 あの翁が融大臣の亡霊だったと。 ─ええ、それは同意よ。全く鈍感なお坊様。 それから僧は六条河原院で一夜を明かす事にするのだけれど、 ─はい、其処。茶々を入れない。私だって貴女達と同じ気持ちよ。けれど、それを言えば御仕舞だわ。本当に野暮な子たちね。 彼の夢枕に立つのは、美しい装束を身に纏った融の霊。 在りし日の姿そのままの融は、遠い昔を偲びつつ舞い踊り、月の都に帰っていくわ。 暁の空の下、尽きせぬ名残を惜しみながら。 そんな融の姿が 〝この光陰に誘はれて 月の都に入りたまふよそほひ あら名残り惜しの面影や 名残り惜しの面影〟 と、歌い上げられて幕引き。  これが、融の筋書よ。
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