第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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「ヌーボーさんの癖に名推理だわね、エロイーズ。 ディアーヌったら、お気に入りの謡曲で供養して欲しかったのねぇ。ほんとぉに人騒がせな()ですこと。 散々あたくしたちを振り回して、さぞかし愉しかった事でしょうねぇ。回りくどくて厭ね、全く。   さあさあ、皆さん。そうと決まったら、早速〝追善能〟を始めましょうよ。場所はさっきの岬で良いですわね、先生? 傍迷惑な幽霊さんには、もうさっさと成仏して貰わなくちゃねえ? いい加減、名残を惜しむ気が失せてしまうわよ、あたくし」 どろりと蕩けた瞳で一同を見渡したマリアンヌは小気味良く柏手を打ち鳴らし、祭主の私と導師を差し置いて一同を宰領せんとする。 支配と統率こそ己が天分と心得るマリアンヌの決然たる物言いには、余人に抗弁を許さぬ預言めいた威が備わっていた。 「これで、ディアーヌも、満、足してくれる、よね、綾乃さん? ね、セリーヌ。空から、眼を離しちゃ、駄目・・・だよ。月に還る姿が、見える、筈だ、から」 「でもあいつ、あたしらが空ばっかり見てると臍を曲げて成仏をサボタージュしちまいそうだから気が抜けないよ。(うたい)、皆で頑張ろうね」 「・・・マリアンヌ。エロイーズ。ジュスティーヌ。 お姉様の御霊を地上に縛めていたのはきっと、わたくし自身の執心で御座います。お姉様の意固地と誤解なさらないで。 叢神様。謡をお姉様に奉る時、どうか薪を下さいませ。この謡本を御焚き上げして、お姉様の許にお返ししとう御座います」 すっかり〝融〟の奉献による奇跡の成就を確信しきった朋輩たちの軽躁を窘める様に眉を(ひそ)めたセリーヌは、断頭台に対峙する貴婦人めいた粛然たる声調で凡そ信じ難い請願に及んだ。 狂せる月の女神の妹君は、あろうことか恋い慕う姉の遺した華麗なる角倉金襴(すみのくらきんらん)の謡本を雲居の煙に()そうというのである。 「セリーヌ。あれはディアーヌさんが貴女に遺した形見でしょう? ディアーヌさんはあの美しい謡本を、在りし日の俤を偲ぶ(よすが)にして欲しいと望んでいたのではないかしら?」 白眼がちの隻眼(まなこ)を鬼火のように青く輝かせ偏執的に訴えるセリーヌに、私は修道女めいた今日の装いに相応しい穏やかな声調を以て説諭に臨む。 「・・・いいえ。この御本はディアーヌお姉様から頂いたものでは御座いません。 御机の抽斗(ひきだし)の奥に仕舞い込まれていたのを、わたくしが先日見付けたに過ぎません。本来は御棺に納められるべき御遺愛の品で御座いましたものを」 けれど、漆黒のドレスの淑女の意志は鋼よりも硬く、イヴを誘惑する蛇よろしく言葉の蜀錦(にしき)を舌先に織り成せど、彼女の翻意を促すことは叶わなかった。
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