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「おい、止めときなよセリーヌ。あいつの数少ない遺品じゃないか、それ。
綾乃さんの言う通りだよ。偶にその本を開いてディアーヌの顔を思い出してやりなよ。良い供養になると思うけどな、あたしも。ランちゃんもそう思うよね?」
「そうとも。きっとディアーヌさんも喜んでくれるよ。ひょっとしたら、初めからその綺麗な謡本はセリーヌさんへ託す積もりだったのかも知れないね」
頑なに説得を否み続けるセリーヌに、ジュスティーヌも青嵐尼の加勢を仰いで説破を試みる。
「叢神様、導師様、ジュスティーヌ。
御心遣い有難う御座います。お姉様の形見ならば、一葉の写真で十分ですわ。
それに、懐かしいお姉様の俤ならば、何時もわたくしの潰えた左眼に。笑うお姉様、怒るお姉様、黙りのお姉様・・・在りし日のお姉様の俤はまるで鮮やかな万華鏡の様にわたくしの瞼の裏に廻り続けているのですよ。
だから、十分なのです。わたくしの執着が月天の磐船の錨となっているならば、それは本意では御座いません」
薄い唇の端を優婉に綻ばせたセリーヌは首を横に振り、もはや己の決心は揺るがぬと宣する。
私達に向けられる視線はその実、私達の遥か後方─地の涯よりもなお遠い異なる時空に坐す神霊の姿を捉えているかの如くであった。
黒いレェスの手套に包まれた指先で撫ぜる左眼の包帯の内には亡き人の貌。
右眼が望むは顕界の彼方、月のわだつみの常寂光土。
この世ならざるものを映すセリーヌ嬢の瞳は、宛ら異界に開く窓。
覗き込んでみたら其の奥に、私達が渡ろうとする新世界の景色が望めるかしら?
※あまのいわふね:岩船。磐船・岩船とは岩のように頑丈な船の意。神々が空を移動したり、下界に降りたりする時に用いる船のこと。
常寂光土:仏の住む智慧の光に満ちた永遠の世界。真理そのものを世界としてとらえた絶対の浄土。
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