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「・・・お姉様、長らくお借りしていた御本を今此処にお返し致します」
馨たちによって牡丹の枯枝を積み重ねた築山が拵えられると、その傍らに長いドレスの裳裾を引くセリーヌ嬢が進み出で、恭しく〝融〟の装飾写本を頂に置いて合掌を捧げる。
それから彼女は築山を載せる松毬と松葉の毛氈に燐寸の火を点す。
夜闇に融ける黒いレェスの手套の指先に、蛇の舌先のような火影がちろりと瞬くや、炎は忽ちにして松葉の海を嘗め尽くし、枯木の塔婆を赫赫と煌めく蓬莱山に変えた。
「凄いや、松毬ってこんなによく燃えるんだ。ふふん、何だか野営みたいで楽しいね」
「まるで、魔宴、みたい。
これなら、わたしたち、まで、空を飛べる、かも知れないね。ジュスティーヌは、ブロッケン山の魔女の夜とか、ヴァル、プルギスとか、そんな、呼び方のほうがすき?」
「ほんっとに物好きだねえ、あんたは」
壮麗に煌めく深紅の火柱を見詰め、親友と無邪気な感動を分かち合わんとしたジュスティーヌは、万事を怪奇趣味に結び付けるエロイーズの放言に辟易し、肩を竦めて有り丈の溜息を溢す。
怪異を語るエロイーズの生ける市松人形の様な佇まいは青嵐尼をも恐怖せしめたらしく、彼女は両肩をごしごしと擦って怖気に抗っている。
「さあ、謡の奉納を始めましょうか。
先ずは私が詞章をゆっくり謡うから、よく聞いて復唱して頂戴。
楽しみながら〝百万遍〟を捧げましょう」
我が友人たちの繰り広げる遣り取りを微笑ましい心地で眺め渡しつつ、私は祭儀の開幕を呼び掛けた。
朗らかに響く応えは勿論おなじみの〝はい、先生〟である。
雲を得た昇龍の如く、遥けき月を目掛けて真っ直ぐに立ち上る炎は早くも謡本を四方から蝕み、紫地の角倉金襴の表紙、唐渡りの古墨で認められた詞章、極小の銀河を鏤めた様な金砂子の料紙の悉くを白い煙へ帰してゆく。
幽艶に揺蕩う藻塩焼きの煙は二十世紀のかぐや姫に捧げられた天の羽衣。それを荘厳する刺繍は、不可視の糸で縫い綴じられた麗しき月人の物語。
橙。銀朱。深紅。猩々緋。そして紫紺。
宛ら極光のように目眩く色彩を変じる炎の揺らめきと共に、形象の蛹を逸して溢れ出すのは霊香の翅。
膠の中に封じられた幾百年前の潮の香り。風通う松の木陰の匂い。在りし日の春の天香。
久遠の昔。富士の高嶺に天女が舞い踊り七宝充満の宝の慈雨が降った日も、こうして霊妙なる薫風が率土の浜から鬼界ヶ島まで神州全土に吹き渡ったに違いない。
─影傾きて明け方の、雲となり雨となる
月の都へ至る階の様に螺旋を描く炎に寄り添うて、私の声が七色の蝶に変じて舞い上がる。
不意に浮かび上がった超現実的な心象と共に、私は生徒たちに詞章の冒頭を謡ってみせた。
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