第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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〝影傾きて明け方の  雲となり雨となる この光陰に誘はれて   月の都に 入りたまふよそほひ  あら名残り惜しの面影や  名残り惜しの面影〟 私の唱導に続くクルチザンヌたちは、ニ度復唱する内に謡の節回しを自家薬籠中の物とするに至り、朝謡(あさうたい)の数奇者はだしの見事な謡を披露するに至った。 読経で鍛えた喉を誇る青嵐尼も、陪席に与るあらゆる宴席で数知れぬ謡に親しんだ(まさしく門前の小僧さんね)馨も、彼女達の恐るべき才能の発露に驚嘆するばかりである。 平生より歌舞音曲の稽古に勤しむ彼女たちは、研ぎ澄まされた感性によって日頃疎遠な芸能とも瞬く間に融和を果たしてみせたのだった。 彼女たちは、歌のある所ならば何処ででも闊達に泳ぎ回れる麗しき水妖(ローレライ)なのだろう。   鐘の様に玲瓏たる声のマリアンヌ。 草原を渡る風の様に涼やかな声のジュスティーヌ。 謡そのものの技量は見事ながら雀の羽音よりも幽かな声のエロイーズ。 潰れてざらついた悪声が却って得もいわれぬ寂びた妙趣を醸し出すセリーヌ。 声色も声量もまるで不揃いの四人の声を一どきに()り合わせると、さながら聖堂の古びた風琴(オルガン)の様に荘厳な和音となって夜気を震わせた。 万事西欧趣味の暮らしに浸る身には奇異にすら感ぜられるであろう節回しを可笑しがる事もなく、ジュスティーヌ達は極めて真剣に(うたい)に臨む。 燃え盛る焚火を囲み一心不乱に詞章を唱え続ける私達の祭儀の異趣には確かに追善能よりも、魔女祭(ヴァルプルギス)の名の方が相応しいかも知れないわね。 誰もが奇跡の成就を(こいねが)い、護摩木よろしく謡を投じる炎は瞬間ごとにその色を変え、恰も幾千の孔雀が金碧の羽を広げて生滅を繰り返す様かと疑われた。 もしも、此の儀典の果てに待つものが依然として峻厳な神々の沈黙であったとしても─霊香馥郁たる虹色の炎の内に、私達はきっとなにがしかの〝(しるし)〟を見出だす事が叶うだろう。 降魔や呪詛といった荒事ばかりを生業とした我が家門は、交霊に類する技能(それに才能も)を持ち合わせていない。 ・・・けれど、私の予感は確かに告げている。 世界の終末を告げる大天使の喇叭よりもなお(さや)けく、月世界へ渡る天つ舟の汽笛が嚠喨と鳴り響く瞬間が訪れる事を。 不意に兆した此の得体の知れない楽観主義(オプチミズム)の赴く儘、私は波間に揺蕩う海月も同然の辿り着く岸辺も知れない儀式の宰領を続けた。 この確信は畢竟、殻を破れぬ雛鳥の死をも瑠璃光燦然たる〝殉教〟の奇跡に転化せしめる己の才知への自惚れを源とする錯誤にすぎないと理解して、なお。 「さあ、此処から本番に移りましょう。 素晴らしいわ。とても上手よ、皆さん。 ・・・それにしても恐ろしいわね。貴女達の才能をこんなに引き出してしまう私の才能が」 「流石に〝サッフォー先生〟の渾名は伊達じゃないね。よっ、大先生」 一同が奉納する謡にすっかり習熟したのを認めた私が戯れごとを呟くと、ジュスティーヌは肩を竦めて半畳を入れた。
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