第二十六章 玉匣

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私の了承を得るや、がばりと喜色に満ち溢れた(おもて)を跳ね起こした多賀さんは、あらん限りの謝辞と賛辞を数珠繋ぎにして私に献上してみせた。 〝観世音大菩薩様〟〝母なる元后ビルゼン・サンタ・マリア様〟〝大権現様〟〝綾乃大明神様〟〝大聖女様〟〝西王母様〟〝当世のクレオパトラ様〟と、まるで暹羅(シャム)の王都の名前と競わんとするかの如く、煌めきたつ雅称の数々を矢継ぎ早に振り撒く。 絵葉書でのみ知る遥けきバンコックの都。 その真名は、クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。 〝天使の都、雄大な都城、帝釈天の不壊の宝玉、帝釈天の戦争なき平和な都、偉大にして最高の土地、九種の宝玉の如き心楽しき都、数々の大王宮に富み、神が権化して住みたもう、帝釈天が建築神毘首羯磨をして造り終えられし都〟 の意という。 王城の地の久遠なる繁栄を祈る麗しき祝詞(しゅくし)の宝冠にして、その権威を聖化する讃歌の光輪。 そんなバンコックの真名の長さも、深謝する多賀さんから溢れ出す百種(ももくさ)の尊号に瞬く間に追い越されてしまう。 私を十重二十重に取り囲む燦然たる尊号の数々は、宛ら虚ろな唐櫃を彩る螺鈿と蒔絵のよう。 如何に麗しくとも、畢竟それは実態とは何の連関も持ち合わせぬ(いたず)らな栄光。 私は菩薩でもなければ聖母でもなく、明神でも権現でも聖女でもなければ、仙女でも埃及(エジプト)の女王でもない。 捧げられた名の何れもが私の実像から完全に遊離し、其処から私の影絵(シルエット)を描き出す事が叶うとは信じられなかった。 名尽(なづくし)の頁を幾ら(めく)ってみても、私を偲ぶ(よすが)を見付けることは難しい筈。 きっと、広大な沙漠の中から一粒の砂金を探し当てるよりも、ずっと。 ※暹羅(シャム):現在のタイ王国。タイ王国への国名変更は1939年6月24日。 クルンテープ・マハナコーン~:タイ王国の首都バンコクの正式名称は、タイ国政府観光庁様HPを参照しました。 毘首羯磨(びしゅかつま):インド神話から仏教に取り入れられた建築、彫刻、美術などの技芸を司る神ヴィシュヴァカルマンのこと。
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