第二十六章 玉匣

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「何てこった。澤島さんに、興梠(こおろぎ)さんに、葉山さんじゃねえか・・・どうして揃いも揃って此処に招待されているんだよ」 三人の若き紳商の凄まじい剣幕の前に、さしもの隻眼の無頼漢も顔を青ざめさせる。夜闇に沈んだ庭園を顧み、きょろきょろと視線を彷徨わせたのは、安全な逃走経路を探る為であろう。 「随分恨みを買っているのね。貴方、一体あの人達に何をしたの?」 澤島太一郎。興梠俊光。葉山樹。 彼らは何れも、満洲での事業拡大に精力的に取り組む気鋭の実業家だ。彼らと星野直樹氏をはじめとする満洲国総務庁高官との提携の周旋に多賀さんの様な壮士達が尽力したと聞き及んでいたけれど、これではまるで親の仇の様だわ。 「皆、賭けで散々に負かした連中なのは確かなんだが。あとは心当たりが有りすぎてよく分からないんだよなあ・・・」 私が尋ねても多賀さんは眉間に皺を寄せて苦しげに唸るばかりで、若き財界人らの怒りの理由を知る事は叶わなかった。 余り酷い事情なら、多賀輝次郎氏との今後の交際を考え直さなくてはならないわね。 〝あ。あれは叢神さんじゃありませんか〟 〝本当だ。あんな所にいらっしゃった。道理でお見かけしなかった訳です〟 多賀さんの背負う因果も、この後辿るべき運命にも、淡交に相応しい優雅なる自由放任(レッセ・フェール)を以て臨む筈だった私の意志を変えたのは、舞踏室に弾けた二つの声。 そして、風通う竹林の騒めきに似た囁きと共に注がれる眼差しの驟雨(あめ)。  発条(ぜんまい)の切れた自鳴琴人形の様に舞踏中の格好で動きを止めた儘に騒動の現場を注視する客人らに、私の姿を認められてしまったのである。 折角請願人たちの目を逃れようとしたのに、その目論見もこれで御破算だわ。
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