第二十六章 玉匣

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慈善舞踏会から三日後。   籠一杯の水菓子を抱えて我が邸の門を(たた)いた多賀輝次郎は、約束通り双六勝負に臨み、見事私を打ち負かしてみせたのであった。 そして、遂に明かされた彼の願い。  それは〝一日だけ人形になってほしい〟という実に奇妙極まりないものだった。 「・・・人形ですって?」 「はい。人形です。どうか頼みます、綾乃さん」 多賀さんの言葉の意味する所を量りかねた私が尋ねても、喜色満面の多賀さんは真珠の様な歯を輝かせて鸚鵡返しをするばかり。 「人形とだけ言われても困るわ。一口に人形といっても種類は色々あるでしょう? 仏蘭西人形に市松人形。博多人形に糸繰人形に自動人形。どんな人形をご所望なのかしら? 幾ら名女優(スワニルダ)でも、コッペリアを知らずにコッペリアを演じる事は出来ないわ。貴方の理想だけで理想(ハダリー)の俤を形にする事が叶うと思って?」 真率な熱意に反し、甚だ茫漠とした多賀さんの説明から彼の目的の全貌を捉える事は能わなかった。 何故人形が必要なのかはおろか、何故私が人形にならねばならないのかすら、一向に言及される気配がない。 多賀さんの勿体振った言動(恐らく主家に関わる事柄ゆえに言葉を探しあぐねているのでしょうけれど)が次第に憎たらしく感ぜられてきたから、私もまた迂遠な問いを以て彼を眩惑してみせる事にした。 悪意を秘した、世にも嫣然たる微笑みを浮かべて。 私は友人との約束に背く積もりなど毫も無かったし〝人形になってほしい〟という不可思議な依頼についても一方ならぬ興味をそそられていた。 けれど、友誼に悖る言動には相応の罰を与えなくてはならない。 友情の箱庭の金甌無欠を望むなら、時には冷酷さや狡知も必要なのだ。名園の美を全からしめる庭師の鋏の如くに繊細かつ凛烈なマキャヴェリズムが。 「いや、済みません。 そうだなあ、種類。種類か。 ・・・あ。そうだ! 生人形ってやつですよ!そう、生人形。 仕事の中身は百貨店のマネキン・ガールと大差ありません。綺麗なお召し物で暫くじっとしてて貰えたら良いんです。 だが、見栄えと衝撃が大事なだけに、トテシャンの綾乃さんにしか頼めないって訳で。僕ぁ絶対に素敵だと思いますねえ、人形を演じる綾乃さん。なんせ上海にも珍しいくらいのトテシャンなんですから」 暫し眉間に深い皺を刻んで呻吟していた多賀さんは、甲高い弾指(Finger snap)を響かせるや忽ち相好を崩して御世辞交じりの陳述に及んだ。 反故紙をくしゃりと丸めたような人懐っこい笑顔は確かに好ましいものだったけれど、その弁舌は港の甘蕉(バナナ)の叩き売りの口上と何ら異なる所は無い。心地好い(おだ)てに乗せられれば、きっと高いお代を支払う事になるだろう。 ※解説は次頁  
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