第二十六章 玉匣

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・・・第一私は、トテシャンなどと褒められる事にはとうに倦み果てているのだ。 幾ら甘美な称賛でも、殆ど挨拶の如く四六時中献じられている内に瑞々しい喜びは色褪せてしまう。   枯れた薔薇の花束を捧げられて、どうして心の糸を震わせる事が叶うだろう。 全ての言葉に手垢のついた此の現し世に於いて、まだ(あざ)らかな言葉に出逢えると信じる事自体が過ちだというのかしら? 凍りついて青ざめた心の月を映して、きっと私の眼差しは剃刀よりもなお冷たい。 「・・・もう結構よ、多賀さん。私の美しさは、私自身がよく知り尽くしているのだから。 貴方なら知っているでしょう? 流麗な御座なりよりも朴訥な沈黙が胸を高鳴らせる瞬間(とき)がある事を。 お互い迂遠な物言いは止めにしましょう。多賀さん、今回の目的について包み隠さず教えて頂戴。貴方の殿様・・・靍見子爵に関わる一大事なのではなくて?」 「はい、そうなんです。 綾乃さんの仰有るとおり、僕の目的は殿様の一大事をお助けする事。殿様はどうしようも無ぇ御仁だが、僕ぁ食客で、先代の御前様から靍見家には大層恩義がある。 ・・・一大事ってのは、殿様の姉上様の婚家、牧岡家へ〝家宝に然るべき品〟を贈呈せにゃならんって事なんですよ。 あ、牧岡って御存知ですよね? 銀行家の牧岡慎之助さん。殿様の姉上様は彼の後妻(のちぞえ)でしてね」 多賀さんの瞳を見詰めて依頼の真意を問うと、彼は居ずまいを正し、(おもむろ)に事の次第を語り始めた。 私に真っ直ぐ射返される曇り無く澄み渡った眼光は、一切の邪心を交えぬ赤誠の証である。
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