第二十六章 玉匣

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「・・・貴方、まさか牧岡さんに空の入物だけを送り返す積もりなの?」 「はい。そうですが?  いやあ、まさか綾乃さんを詰めた儘送る訳にはいかんでしょう。綾乃さんだって連日御多忙だって仰有ってたでしょう? クレオパトラを演じる義理まではありませんよ。それに牧岡さん自体シーザーって柄じゃねえ。 まあ、万事僕に任せて下さい。皆の面目が立つ様に収めてみせますから。綾乃さんは安心して、頭を空っぽにして人形になりきっていて頂けたら、もう十分です。 何でしたら牧岡さんがいらっしゃる間はずっと寝ていても構いませんから。夜会続きで不眠不休なんじゃありませんか?」 頭を垂れた隻眼の賭博師は殊勝げな言葉を並べたけれど、私が率直な問いを投げ掛けると至極恬然として主家のをペテンにかける存念を明かした。 当人は〝風蕭蕭として易水寒し〟の心境に在るようだけれど、身に纏う白い三つ揃いも胡粉を塗り込めた様な白すぎる歯も、多賀さんの男伊達(ダンディズム)(しるし)は大陸仕込みの侠気ではなく、彼の身に染み付いた胡散臭さを一層際立たせるばかりである。 ・・・けれど、多賀さんの骨柄は兎も角、これから私が巻き込まれようとしている事件は仔細を知れば知る程に興味をそそられる類のものではあった。 家宝を求める風変わりな富豪。棺めいた玉匣(たまくしげ)。コッペリアの真似事。優雅なる空寝。人形の消失。現身(うつしみ)ならぬ身の空蝉(うつせみ)の計。 我が霊感が天使の様に囁く─ 夜宴の卓に華を添える極上のキャヴィアにも憂鬱の苦さを味わうだけの、贅美に飽食した私に慰藉をもたらす格好の娯楽となる事は疑い無い、と。 
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