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葡萄酒の夜光杯(グラス)を傾けながら、私はソファに身を委ねる。
屋敷の窓から差し込む月光が深淵なる闇に満たされた広間を照らした。
華の帝都の賑わいは遥か遠く、私の屋敷は夜ともなれば全くの無音の世界となる。
「・・・暇だわ。どうにかなさい、馨(かおる)」
しばらく続いた沈黙の後、私は背後に佇む従僕に無理な要求を押し付ける。
無聊の慰みとて、骨牌やチェスの如き遊戯や遊興の類には倦んでいたから、答えなど求める事自体が誤りである事は自明であったけれども、ひたすらに黙すのも味気ない。それ故に私は我が従僕に敢えて難題を与えた。
彼が如何なる返答を献じるか試みるのも一興である。
「申し訳御座いません綾乃様。
・・・生憎、飽食は如何ともし難い病で御座いますれば」
長めの黒髪の下の精悍な顔はそのまま、背広姿の従僕-沓名 馨(くつな かおる)は恭しく返答する。
「そう。
私に〝二百年〟仕えている貴方でも、飽食した享楽家をも酩酊させるモルヒネばかりは献じる術もないのね。
・・・それとも、この星霜の内に私の方が麻酔薬に慣れてしまっただけかしらね?
それにしても、物憂い夜だわ。杯を重ねても憂愁がより深まるばかりで」
「美術品の蒐集、遊山、観劇、謡曲、音楽・・・何れも既に飽く程親しまれた貴女様に相応しい何か新奇な事柄があれば宜しいのですが」
「そうね。
三百年近く生きていれば新奇な何かなど指折り数える程も残りはしないのだから」
そう、三百年。これだけの年月を私、叢神綾乃(むらかみあやの)は生きてきたのだ。
勿論、私は人間ではない。〝吸血鬼〟と呼ばれる化生である。
人の生き血を啜る不老不死の妖異。それこそが、私である。
生憎、有名な愛蘭(アイルランド)の某先生が描いたドラキュラ伯らのように、鏡に姿が写らなかったり、ましてや葫(にんにく)に弱いなどという事はないけれども。
因みに我が従僕こと馨も吸血鬼であり、かれこれ二百年の長きにわたり我が家に仕えてくれている。
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