その涙が枯れるまで…

2/4
前へ
/30ページ
次へ
それからベッドに空きがあるからと すぐに転院した。 その日のうちに血液検査を受ける 骨髄を採るのでかなり痛い検査だったはずだがお母さんは文句1つ言わなかった。   それから2時間後… 私達は先生に呼ばれた 「検査結果ですが、急性骨髄性白血病でした」 先生の話が終るか終らないかの時、私とお母さんは強く手を握りあっていた。   この病院では100%告知するんだそうです。 それは、今の情報社会では癌の治療に抗がん剤を投与する事… そして、その薬には副作用があり髪の毛が抜けたりする事をほとんどの人が知っているからだそうです。 だから治療中にバレた時に告知していないと そこで自分が癌なんだと判った人が生きる気力を無くすから容態が急変したりするので、完治させる為に頑張っていきましょうと告知するんだそうです。 「まずは、抗がん剤の治療をしていきましょう」 先生がお母さんに大丈夫だからね、頑張っていきましょうって言ってくれた。 この日から お母さんの白血病との闘いが始まった。   しかし…この時 お父さんは先生から 「早ければ3ヶ月と思っていて下さい」 と余命宣告されていた。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加