258人が本棚に入れています
本棚に追加
「私、お邪魔みたいね。お店にはまた今度寄らせて頂きます。いつになるか分からないけど」
よそよそしい感じで話して、去り際に冷たく言い放つ。
人混みに消えて行く女の背中を、亮輔は呆然と眺めていた。
暫く放心状態に陥る。せっかくの獲物を横取りされた気分。
「勘弁してくれよ……」
怒りを通り越し、只呆れた。
何を思いあんな事を口走ったのだろう。見当もつかない。
不自然さすら感じる千紗を、振り向きざまに睨んだ。
視線は一瞬だけ合い、直ぐに逸らされた。千紗の上半身は、90度に折れている。
「ごめんなさい、これしか方法を思い付かなくて……」
大事な客を逃がしたのだ、謝って済む問題ではない。
そうは思っても、何故か怒る気にはなれなかった。
もう良いと声を掛け、頭を上げさせた。すると、予想もしていなかった顔がそこに。
千紗の目尻からは真珠のような涙が溢れ、次から次へと頬を滑り落ちていた。
「いやっ、別に怒ってないから泣かないでよ。ねっ?」
流石に泣かれるとは思っていなかった。軽く睨んだつもりだったのだが、どうやら本気で怒っていると感じたらしい。
片手で口許を抑えて嗚咽を堪えている千紗の両肩に、そっと手を乗せる。
この状況をどう打開しようか頭を悩ませる。そんな亮輔に、
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがお父さんを……食べちゃった」
千紗は、女優顔負けの演技で亮輔を困惑させた。
最初のコメントを投稿しよう!