後日譚 其の参 『対極』

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夏の夜は騒がしい。 日が暮れて、夜の闇に覆われても、虫や動物達の息遣いが聞こえる。日中に比べれば気温は下がるものの、真夏ともなれば暑いことには変わりはなくて。じんわりと額に滲む汗を時々着物の袖で拭いながら、真継は書簡をしたためていた。背後に立つ俺の存在にも気付かないくらい集中しているようだ。 ふと吹き込んだ夜風が蝋燭の小さな炎を揺らし、悪戯にその火を消してしまった。真継が顔を上げ、再び火を灯そうと燈台に手を伸ばしたところで声をかけた。 「まだ起きてるのか」 よほど驚いたのか、大きく肩が揺れる。 「藍堂」 振り向かないまま俺の名を呼んだ。 「お前、相変わらず真面目だな」 「そんな事はーーー」 言いかけて、俺の動く気配に真継は言葉を飲み込んでしまった。ギシと床が軋み、真継から緊張が伝わる。ここ最近ずっとこんな調子だが、それには気付かないふりをして、燈台に再び火を灯してやった。 「そういやあの時も。お前は真面目に俺が教えた事を書簡に書き込んでたよな。暑いのに休憩も取らず、真面目に」 出会った頃の夏の日を思い出す。 薬草についての知識が知りたいと言った真継に、俺は自分の知りうる知識を与えた。まさか七総家の次期当主とは想像するはずもなく、ただの薬師見習いくらいに思っていた。鬼である俺が、将来陰陽師になるガキを育てるなんざ滑稽もいいとこだ。 「そ、そう……でしたか?」 「何だよ、忘れたのか?つれないな」 「いえ…忘れた訳ではっ……」 言い訳するみたいに口ごもる真継の様子は、普段愛弟子達の前で見せるしっかり者の師匠の顔とは違って、どこか頼りなげで妙に愛おしい。こんな真継は、恐らく俺しか知らないだろう。優越感と同時に、もっと虐めてやりたいと嗜虐心が疼いた。 「それじゃあこれは覚えてるか?」 そう言うと、書簡に目を落としたままの真継の肩を引いて、少し強引に床に組み伏せてやった。驚きと不安に揺れた瞳が、真っ直ぐに俺を見上げる。燈台の明かりに照らされて、真継の顔がほんのりと赤く染まって見えた。多分、赤いのは明かりのせいだけじゃないだろうことは容易に想像できるが。
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