1人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
私の両親は、昔から喧嘩がたえなかった。
幼い私が寝る頃に喧嘩をしては、それに起こされた私が泣きながら止めに入る。それがパターン化されていた。
小学校の間、それが何度も続いた。
私が高学年になったとき、それは悪化する。
ただ私が「離婚しないで」と泣いて治まっていた喧嘩はもう治まらず、泣きじゃくる私に母親は「アンタはどっちと暮らしたい?」と離婚を感じさせる事しか言わなくなった。
その時の私はどちらも対等に好きだったし、天秤にかける事などとんでもなかった。だからうまく言葉も返せなかったし、考えたくもなかったから、「そんな事決められない」「そんな事言わないで」と、そんな言葉を戯言の様に言い続けた。
毎日喧嘩をする、の毎日が、何時までも続く訳がなかった。
時間がたてば喧嘩は喧嘩の枠を越え、何かの事件になる。
そう、父と母の喧嘩が度を越えたのは、私が5年生の時だった。
その日は平凡な一日だった。
授業を終え、赤いランドセルを背負って帰った私は、小1から持たされているカギで鍵を開け、家へ入った。
当たり前の様に独りぼっちのリビングでテレビを見、時間を潰せば、5時には10歳上の姉が仕事から帰ってきた。
その時は姉とは折り合いが悪く、まったく口をきかない関係だったから、姉は黙って二階に上がり部屋に篭っていた。
何時もの毎日。
そう思っていた。
異変に気がついたのは母親の帰りが遅い事にだった。両親二人とも共働きの私の家では親の7時帰りは当たり前だったが、7時を過ぎても帰ってこなかった。
遅い。リビングの時計を仰ぎみながらそう思った時だった。
外から、両親が口論するけたたましい声。
それに混じって鍵の開く音が聞こえた。
玄関に入り、欝陶しそうに父の声を聞きながら靴を脱ぎ先にリビングに行く母親。それを追い掛けるように靴を脱ぎ攻め立てながら後を追う父。
何時もと様子の違う喧嘩にかなり動揺していた私。
ただ固まって見ている事しかできなかった。
(だから、その時の喧嘩の内容を覚えていないのかもしれない。)
荒々しい声。
それに姉も心配したのか、下を覗いて来た。
突っ立って固まる私にどうしたの?と声をかけ、分からなくなって泣き出した私を抱きしめてくれた。
しばらくリビングで喧嘩をした。
最初のコメントを投稿しよう!