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長宗我部氏の経緯
「長宗我部」という苗字は、秦の始皇帝の末裔という秦能俊が、中世初期に信濃より土佐に来国し、長岡郡宗部郷の地名をとったことに因むという。
以来、地頭級の豪族として順調に発展し、南北朝期には大そね・吉原・深淵などの所領を得て国人領主に成長した。長宗我部氏がいつ頃、岡豊城を築いたのかは不明だが、永正5,6年(1508~09)頃、19代元秀(兼序)のとき一度落城していることから、16世紀初頭までに成立していたことは間違いない。
その後、国親・元親の2代で土佐を統一した同氏は、戦国大名に相応しい居城として、岡豊城の修築・拡張を繰り返したが、大高坂・浦戸への転居に伴い放棄したようである。
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