1582人が本棚に入れています
本棚に追加
/1003ページ
関ヶ原合戦
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦が勃発した。
天下を狙う徳川家康とそれを阻止し、豊臣家の天下を守ろうとする石田三成を中心とした争いである。
この関ヶ原合戦の前に、左近は家康を暗殺しようと進言したという。
だが、三成が承知しなかった。
暗殺などということをしなくても正々堂々と戦えばいいという考え(世間体も気にしていたという)からである。
9月15日、関ヶ原にて東軍(徳川方)と西軍(三成方)の戦いが始まった。
陣形でいえば、西軍が圧倒的に優位であったが、戦前に既に勝負はついていた。
小早川秀秋の裏切り、毛利隊の傍観と、西軍は全軍を使うことはできず、1日にて敗北した。
左近は三成の陣の前に陣取り、東軍の黒田長政隊と懸命に戦った。
左近自ら、先頭をきって黒田隊に切り込んだともいわれている。
黒田隊は左近の勇姿が眼に焼きつき恐怖したという。
左近はこの戦いで討死。
だが、実際には遺体が発見されたわけでもなく、逃亡説もまことしやかに囁かれていたという。
最初のコメントを投稿しよう!