前田慶次

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慶次の謎 前田慶次は謎の多い人物である。 謎1 ・慶次の名は、慶次・慶二・啓二郎・慶次郎・利益などと様々あるが、正しいのは何か? 【検証】  天正13年、佐々成政との戦いのおり、前田利家の配下にあったことは、一次史料にて確認できる数少ない事績である。その中には、天正13年(1585)、佐々方の阿尾城を攻めたとき、攻城軍の一員として、前田宗衛利益の名がある。前田利益の名が最も信憑性の高い名である。 謎2 ・慶次の父親は、滝川一益や益氏と記録されているが、実際はどうなのか。 【検証】  慶次は、滝川左近将監(一益)の従兄弟にあたる益氏が実の父にあたる。あるいは一益の子ともいう。「真偽一統志」には、「益氏の子を宿した側室は、夫が合戦で討死したのち、前田利久君の妻に迎えられた。そのため、生まれた男子は利久の養子として育てられた」と記録される。利久君は、慶次を養子とし、娘婿として処遇したのだ。  だが、この内容についても謎が深まるばかりである。実際には、慶次の父親を記す史料は存在せず、母親についても、前夫と別れたのちに前田利久の妻となったという記録が見られるが、状況的にはその可能性は低いと言わざるをえない。
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