前田慶次

8/11

1582人が本棚に入れています
本棚に追加
/1003ページ
謎3 ・慶次が居住したという能登松尾の存在は実際にはどうなのか? 【検証】  松尾という地名は、一説によると「松応」とも記録される。松応という地名を調べると、江戸時代にはこのような地名は存在しない。七尾という地名の由来となった七つの尾がつく地名には松尾があり、この地名が「松応」のことを指すと思われる。松尾にはかつての領主だった畠山氏の城跡がある。  また、七尾以外にも鹿島路村にも松尾という地名があるものの、慶次がこちらに居住したという伝承が語られることはない。 謎4 ・慶次が利家の家臣としてどのような立場にあったのか? 【検証】  慶次は、はじめ尾張に居住していた。「壬子集録」に掲載された荒子城の図面には、巽(南東)の方向に屋敷があり、東西20間、南北18間(約350坪)ほどの広さの屋敷にいたとされる。現在、判明している事実はこの居住の広さしかなく、家臣としての立場の詳細は不明である。
/1003ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1582人が本棚に入れています
本棚に追加