前田慶次

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謎5 ・前田利久が荒子城主の座を追われてからの父子(利久・慶次)の行動。 【検証】  前田利久は、荒子城主を追われる身となった後、前田家の禄を返上し、京都へ行ったという。京都では、寺町通りに居住したという。また、慶次に関しては、小田原攻めまでは前田家にいたと記録されている。 謎6 ・慶次が前田家から出奔した時期が不明である。出奔後の行動も東国へ逃亡、または直後に上杉の家臣になったといわれる。 【検証】  慶長5年(1600)、関ヶ原合戦が起きる以前の段階で奥州に行き、国老の直江兼続の推挙により、上杉景勝に仕え、2,000石を領したという。実際に、その間の行動を示す信憑性の高い史料は残されていない。
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