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辞世の句は
「友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」である。
これは死の三ヶ月前の花見で詠んだとされる。
吉田郡山城の増築工事の際、人柱の替わりに百万一心と彫った石碑を埋めたとされる。
父毛利弘元、兄毛利興元は酒の害で早死にしたこともあり、元就は酒は控えていたとされる。後に孫である毛利輝元に対して酒を控えるようといった内容の書状が残っている。
類い希な天運に恵まれた彼の生涯の中で、唯一ともいうべき不運は嫡男・隆元の早世であった。隆元死去の報告を聞いた際、元就は卒倒し、三日三晩泣き明かした。その後、元就は「早く死んで隆元のところへ行きたい」と口癖のように言うようになったという。
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