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元親の幼少時代
土佐にて、次第に勢力を増している長宗我部国親の嫡男弥三郎は、幼少時代、色白で柔和な性格であったため、国親の家臣たちから「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されていた。
弥三郎は元服を迎えると、「元親」を称したが、父国親からは「うつけ」と誹られ、その武将としての器量を疑問視されていた。通常、戦国武将の初陣は10代前半から半ばには行われるものであるが、元親は、「姫若子」と揶揄されるほど弱弱しく思われていたのであろう、20代になるまで初陣を果たすことはできなかったのである。
父国親は家督を早くに元親に譲り、二頭体制に入ろうとしていた兆しが見えるが、実際には行うことができなかったのだ。国親が突然死を迎えたのも理由の一つであるが、最も大きな理由は元親の柔和な性格であったのだろう。
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