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あの日から香凛母娘の生活はガラリと変わった。表向きは野党により弟を亡くした哀れな王が、その家族をも保護し養っている。
何とも慈悲深い話にすり替えられていた。
王は喪に臥し、城に香凛母娘を住まわせると始終『私が王であったばかりに弟が殺されたのだ』と嘆いて見せた。
民はさぞ王を哀れに、慈悲深く思ったであろう。それも仕方のないこと。真実を知る者は城の奥深くに監禁されていたのだから。
「母様、ご覧になってくださいまし。銀桂花の枝を分けていただきましたの。もうこの季節が来たのですね」
香凛は両の手のひらに乗る程度の枝を、母の寝台に手向けた。ほの白い母の腕が伸べられると、まるで枝が加わったようだ。すっかり細くなってしまった腕には青い血潮が浮かび、やつれた顔には死の気配がした。
「本当に……綺麗ね」
一瞬緩んだ頬を見ると香凛は嬉しげに声を上げる。
「今度はもっと沢山いただいてくるわ。お部屋が桂花の香りで満たされるように!」
それで少しでも、母の元気が出るのなら。それで少しでも、涙が笑顔に変わるのなら。
「いいえ香凛、いいのですよ」
故にその言葉が盛り上がった気持ちを一気に萎ませた。母の顔は、またいつもの悲壮感に沈んでいたから。
「枝を手折るのは可哀想だもの。嗚呼、せめて貴女だけでも枝をしならす銀桂花を見せてあげられたなら。この牢のような部屋から出してあげられたなら」
そうして母はまた涙を零した。頬に張り付く髪が滴を滑らす。
この姿を見ると、香凛は何も口に出来なくなる。どんな言葉を紡いだところで、悲しみや苦しみしか生まないから。
「香凛様、室からお出になる時は許可を取るよう申しつけていたはずです」
実際のところ、香凛も何度となく外に出ようと努力していた。しかし真実をふれ回されることを恐れた王の監視は一向に緩まない。
たった数歩先の衣装部屋に行くにも許可が必要なのだ。
「わかっております。捕らわれた身であることは重々承知。……父は王に殺された。廃された一族は勝者という名の鬼に掴まるというしきたりですものね」
尖った顎をそらすと、香凛は臆することなく言い放つ。さすがにこの言には女官も驚いたのだろう。辺りを見渡すと目を見開いたまま
「なんと恐ろしいことを」
と吐き捨てた。
今ので夕餉抜きが決まってしまったが、香凛は言わずにはいられなかった。
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