第壱章/義勇軍

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「有名だな。傷を負いながらも決して阿斗を離さず劉備の元へ届けた趙雲。凄い。普通なら逃げてるのに。そして、その趙雲を労った劉備。でも、自分の息子阿斗は趙雲に傷を負わせたと鬼子となじって投げ捨てようとしたんだよな。」 周りの家臣達にさすがに止められた。 「子供はまた作ればいい、が、趙雲の代わりは誰にも出来ない。趙雲を失うわけにはいかない。と劉備は言ったんだよな。それを聞いたらやっぱ感動するよな。」 誰だってそういうセリフ言って貰いたいものだ。この時代は特にだ。士気にも影響するし、忠誠もだ。一番大事なのは生き残る事。 劉備軍にはそれが一番左右するのであった。 燎嵩は城内へ戻るととある兵士に目がいった。 劉備が呼んだのだろう、2人かしずいていた。 「私達は綿竹に戻る。霞萌関はそなたらに任せるカク峻、孟達頼んだぞ。」 「はっ!!」 「!?」 ー孟達!?ー 彼の名前は三国志を知るものならば有名であり、好印象は持たない。 裏切り。孟達は文字通り裏切りで三国志を生きた人物であるから。 「…………。」 燎嵩も例外ではない彼には印象は良くもっていない。 が、日本の歴史とて裏切りが無かったわけではない。戦国時代がそうだ。身内肉親さえ裏切り見殺しにした歴史がある。 孟達を悪く思うのは蜀に感情移入しているからだろう。 孟達も生き残りたいが為に裏切り続けたのだろう。根本的はそういった事だろう。 日本にも荒木村重がいる。信長の家臣である。離叛した理由は定かではないが、当時は毛利を敵とし備中で秀吉の下で動いていたのだが、秀吉の下で働くのは荒木も我慢ならなかったのだろう、商人上がりの秀吉、荒木は武家の出身。確かに秀吉の下は我慢ならないだろう、が、他の武将は離叛してはいない。 荒木だけ。しかし反旗を信長が許すわけもなく、妻子、従者600人以上が見せしめで処刑された。 荒木村重はそれでも生き延び、武将としての道を捨て、茶人「荒木道勲」と名乗り千利休「利休七哲」に数えられている。 小早川秀秋、明智光秀、と日本とて切りがない。歴史とはそういった中でそういった人物、行いなどがあって生まれるのである。 孟達とカク峻は部屋を後にし、下がっていった。 燎嵩は妙な気持ちに捕らわれる。 正史を知っている燎嵩にとれば、蜀を窮地に追い込む人物である。 劉備に孟達の事を言ってしまえば相手にするしないは別にしても歴史に触れてしまうのではないのだろうか。
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