第弐章/三国鼎立-混沌の始まり

2/32
前へ
/120ページ
次へ
蜀を得て、諸葛亮孔明は政堂に入り蜀の憲法と民法、刑法などを作っていた。 その内容は極めて厳しいものであった。 他の文官すら眉を寄せるほどのものであった。 「あのぅ。」 「何です?」 「コレ、かなり厳しすぎやしませんか?」 法正が諸葛亮に申告したのだ。 「いいえ、コレでいいのです。」 事もなく当たり前に言う。 「しかし、善政を布き喜んでいる中に、コレは厳しいですよ。」 また民を苦しめるかもしれない。落胆の色も見えるだろう。 「漢中の皇祖の三章にしては如何です?」 フッと笑い諸葛亮は法正に言った。 「生易しい法、威厳のない国家、逆に民を苦しめる事になります。漢王の三章は、その前の時代の王が布いた悪政により民は苦しめられてきたのです。仁政を作り最初から厳しいものにしなかったのは、民に早く法を馴染ませる為、ですから三章にしたのです。」 もっともだろうが、法正には納得いかない。 ならもう少し寛容にして、この先で締めていけばいいのではないだろうか。 納得していない事を法正の顔が物語ったのか諸葛亮は更に続けた。 「易しいだけでは民が慢心し、法に背いた時、取り締まろうとすれば弾圧を感じ、国はやがて疲弊し乱れます。確かに、今は悪政から解放され仁者の政に喜んでいるでしょう、が、峻厳な法律は民自身、それに国家の為には必要不可欠なのです。仁者の政ではないような法律でしょうが、悪政に比べれば規律が立てられようとも潤うなら生業を有り難いと感じ従って頂けると思います。いずれ民が感謝する日が訪れますよ。家族に置き換えれば尚も分かり易いかもしれませんね。家に優しい母だけ在っても、厳しい父は無く、片親では子供は寂しさを覚えます。父がいれば、寂しさはないでしょう、しかし母だけでは、子供はわがままを言い、叱っても厳しさがない為、子供は言うことを聞かず。家に厳しい父があったればこそ、厳しい中に優しさがあり子供を育てていくのです。そうして一家は成り立つのです。国もそうでしょう。」 ニコッとして法正に言った。 諸葛亮がこのように考えた上で法律を作り上げていたのだ。法正は流石に驚いた。 浅はかな考えな自分に恥ずかしささえ感じ、諸葛亮に法正は詫びた。 法正もまた間違ってはいない。厳しいならば、どこかを緩め民の為とす。しかし統治してまだ浅い劉備の政権下、曹操や孫権のように盤石にならねば崩れゆくも容易い。 国家が盤石なればこそ並ぶに等しいもの。
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!

756人が本棚に入れています
本棚に追加