月の満ちる夜。

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月の満ちる夜。

それは、隣りの部屋から聞こえて くるのでした。とても清らかな白い月夜。 何を話しているかまでは解りませんが、 いつも優しい笑顔を絶やすことがなかった 父の、大きな声がこちらの部屋にまで 聞こえてくるのは珍しいことでした。 そんな時、私は呑気にみどり色の粘土を、 ビール瓶の先に、少しずつ丁寧に貼付けて 父の顔を創っていました。ときどき父の 大きな声が廊下越しに聞こえてくると いちいちハッとさせられ指に付いた粘土を 無意識に丸めこねていて、そして何故か。 その小さく丸め込んだ粘土を頭となる 部分に一つ一つ、くっつけていました。 決して父はパンチパーマではありません。 黒くて硬いツヤのある直毛でした。でも 父の大きな声が聞こえてくるたびにハッと 息をのみ、指に付いた粘土をくるくる丸め いつの間にか仏像の頭になっていくのを、 気が付かないままでいたのです。 そのビール瓶を土台にした父のブロンズを 真っ直ぐ見つめながら耳は勝手に隣りの 声を辿っているのでした。父の声が静かな トーンで耳まで届いてこない間は粘土に 集中することが出来たのですが、大きな 声が聞こえてくるとハッと私の手は止まり そして直ぐに指先の粘土をくるくると。 それは父が部屋から出てきますようにと、 願い待っていたように思います。その夜は 父の大きな声を初めて耳にした、それは 綺麗な満月のことでした。
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