キンモクセイ

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僕は教室をひとしきり眺めたあと、懐かしい小学校の校舎を見て回ろうと思う。廊下ではリノリウムが陽射しに感応し、きらきらと小さな光の粒をまきちらしている。 僕の記憶している教室の並び方、保健室、トイレ、階段、理科室に家庭科室、どれをとっても間違いない。僕は不思議な夢の中にいると知りながら、驚くほど穏やかな気持ちでいる。どこからか聴こえてくる、ゆったりとしたグランドピアノの調べは、確かこの学校の校歌だったはずだ。 体育館へと続く渡り廊下を歩いてゆく途中で、強い芳香を感じる。左手に見えるのは強い陽射しにさらされてなお、凛とした美しさを保とうとしている黄色い花をたたえた、キンモクセイの木だ。 眩しそうに目を細めて空を眺める子どものように、そのキンモクセイの花は太陽の光を深緑の葉で遮りながら、僕が感じている強い芳香を発し続けている。 「いつだったか、君が私に小便をかけたことがあったね」 キンモクセイの木は静かに僕に語りかける。そんなこともあったかな、と思い出して少し笑ってしまう。 「お陰で他の子どもたちも君を真似るようになってしまってね。いつかぱったりと子どもたちの声が聞こえなくなってしまうその日まで、私が小便をかけられない日は無かったよ」 キンモクセイの木は言う。 「僕はその困った習慣を一番に始めた、君にとってはずいぶん憎むべき子どもだったんだろうね。いや、まさか今も根に持っている、なんてことはないよね?」 僕はいささかおどけた調子で言う。
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