海野棟綱と幸隆

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武田晴信は諏訪氏を滅ぼして信州攻略の足場にし、伊那郡・佐久郡の平定を行った。 伊那郡の大半は容易く手に入れたが、佐久郡にはかなり手を焼いたようだ。 佐久郡の土豪達の構成に付いて少し述べよう。 名門滋野氏より出た望月氏。 大井・伴野・平賀の佐久三庄の族党。 小県依田の分流。 小笠原氏の支族。 また、彼等の頼所を大まかに分けると 諏訪大社を信仰する諏訪氏一党。 信濃守護小笠原氏一党。 村上氏の勢力下の一党。 山内上杉氏庇護下の箕輪衆一党。 これらが入り乱れ複雑な歴史や伝統を持つ佐久郡の平定は、天文十年に初めて信濃征服を試みてから実に十年の歳月を費やすのであった。 幸隆は、同族の滋野氏・海野氏などの調略などで活動したと思われる。 天文十九年に 『其方年来の忠信祝着に候…』 と晴信より感状をもらっている。 さて、海野棟綱はと言うと消息を示した記録は見当たらない。 年齢から鑑みるに上野の亡命地にて病没したのではないかと予想できる。
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