海野棟綱と幸隆

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信州佐久にも箕輪衆は居た。 大井、平賀、内山、志賀、等の佐久郡の土豪は元々信濃守護小笠原氏の配下であった。 しかし、小笠原氏が衰えると上野から関東に勢力を持つ山内上杉氏に近付いて、被官の礼を取り山内上杉氏の旗下にはいった。 彼等を佐久箕輪衆と呼ぶ。 しかし、中世の権威と治世の実力が噛み合わなくなり、弱肉強食の世に突入した。 佐久郡は、村上氏、諏訪氏、武田氏の侵略を受け、上杉一偏倒とは行かなかったのも、中小土豪としては仕方無い事だろう。 前記の通り、武田信虎の侵攻を受けて、平定された佐久郡であるが、天文十年六月。 武田家に重大事が起きた。 武田晴信による、父武田信虎の駿河追放である。
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