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その時、晴信21歳。
この事件は、甲斐のみならず近隣の諸国にも響き渡った。
信虎の失脚により、武田氏の家運もこれまでだろうと言う意見が大半を占めたと思われる。
長野業政もその中の一人だった。
海野棟綱、真田幸隆から信濃の実情を知らされていたに違いなく、武田信虎に荒らされた佐久郡の土豪の動揺は必至。
諏訪神使御頭日記に依ると、長野業政は山内上杉の威信回復を図り、上野や佐久の箕輪衆に声を掛けて、三千騎の軍勢で佐久郡に侵入したとある。
案の定動揺していた佐久郡の土豪は業政に従い、諏訪方に属する芦田信守などは城を捨て逃走した。
諏訪頼重は、業政らの勢いに指をくわえて見ているのみ。
村上義清も、砥石城で戦況を見守るのみであった。
飛ぶ鳥を落とす勢いの箕輪衆も、佐久郡以外には手を出さず、諏訪とも早々に和睦した。
業政の目的は、領地を増やす為の侵略行為ではなく、あくまで佐久郡在住の箕輪衆と山内上杉家の『威信回復』だったと考えられる。
しかし、それは束の間の出来事だった。
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