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父信虎を駿河に追い出して家督を継いだ晴信。
晴信の領土欲は信虎より輪を掛けて妥協無く強欲だった。
まず、出始めに手を付けたのは、諏訪氏への侵略。
天文十一年、恭順の意志を示していた諏訪頼重を甲府に呼び寄せ詰め腹を切らせた。
信虎の諏訪氏対策は懐柔して帰属させる緩やかなものだったが、晴信は断固して滅ぼし完全占領する政策を採った。
その姫(諏訪御料)は、友好関係にあった滋野三家の一つの祢津家に逃れたが、晴信は諏訪氏支持の豪族達の懐柔策としてのみの目的で妻として奪ってしまった。
(高白斎記、二木家記)
丁度その頃、祢津家と同族の真田幸隆も武田に出仕したと考えられる。
甲陽軍鑑や真武内伝では、山本勘助や原隼人正が箕輪に出向き勧誘したとか、長野業政に武田家出仕の議を告白したら快く暇を与え送り出したとかあるが、これらは軍談軍記の創作である。
恩義ある山内上杉氏への裏切りを正当化して、業政の信義を美化するフィクションである。
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