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永禄十年(一五六七)九月。織田信長は、先頃落城させた稲葉山城を新たなる居城と定め、引越し作業に追われていた。信長の妹である市は、そのまま清須に残ることになっていた。
「竹。兄上は、何をあんなに急いているのでしょうか」
市は言った。竹と呼ばれた織田三左衛門寛彦は、市の側に侍り、黙って座っていた。竹とは、幼名の竹千代のことである。
「何か、嫌な予感がします」
市は続けていった。寛彦は黙ったままだ。
「竹は、兄上のなされようについていけていますか?」
「某は、殿様に命を差し出しております」
市の問いに、寛彦は答えた。しかし、それは答えになっていなかった。つまり、織田信長の連枝たる寛彦にさえ、信長の考えについていけていなかった。
「妾には、不安なのです。みなが兄上のなされようを理解できていない。それ故に兄上のなす事に反発してしまう」
市の言葉に、寛彦は、
「そのような事は御座いますまい。皆、殿様を信じておいでですから。ご安心ください」
と、励ました。
「そうだと良いのですけど……」
市は、そう言うと、安心したような笑顔で、
「竹。兄上をお守りください。お願いいたします」
と、言った。
(お美しい……)
思わず寛彦は見とれてしまった。
「織田三左衛門殿!柴田殿がお見えでございます」
と、織田家重鎮の来訪を告げる者が来た。
「姫様、失礼いたします」
寛彦は、頭を下げた。
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