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1 彼の名は山田宗四郎
日当たりだけが取り柄のボロアパートの色褪せた畳の上に寝転がる男が一人。彼の名前は山田宗四郎。売れない小説家だ。この部屋の中には彼の他に、散乱した紙と文机、そして黒い子猫が一匹。6畳程の和室には襖が二つ。その一つの襖の向こうは台所。もう一つは、朝起きてそのままの布団が敷いてある寝床へ繋がっている。
「ひぃまぁだぁ~」
「そんなに暇なら物書きは物書きらしく文机に向うといいぞ」
彼以外誰も居ないはずの部屋から声が返ってきた。その声をたどれば黒い子猫にたどり着く。子猫は丸まっていた体を起こし、一つ伸びをすると、とんっと文机の上に乗り宗四郎を見た。猫の目は赤く、夕焼けのような色をしており、感の鋭い人間ならば、すぐにその異質さに気付くだろう。
「えぇ~やだよ」
「…売れないうえに、ぐぅたらとは救いようがないな」
「売れないってなんだよぉ。今回の恋愛小説は自信作なんだぞ」
「ふんっ、恋愛もろくにした事のない奴の書いた中身のない物など、何処の誰が買うと言うのだ。もっと有意義なものを書け有意義なものを」
黒猫は書きかけの原稿を読みながら顔をしかめ、右前脚でぺちぺちと叩く。途端にそっぽを向いてしまう宗四郎にため息を一つ零し、とんっと跳躍すると、そのだらしなく寝転がっている体の上に着地した。
「おぉもぉい~」
「黙れ、ダメ人間」
所詮、子猫の体重なのだから、さして重くはないが、宗四郎はじたばたと暴れ、自分の上から追いやり、また畳の上に寝そべったかと思えば、むくりと起き上がった。
「宗?やる気にでもなったか?」
「たまちゃん!」
「誰がたまちゃんだ!俺の名前は煉玉(レンギョク)だっ」
「いいじゃん、たまちゃんの方が可愛いし。自分だって僕の事略してるんだしさぁ」
「俺とお前では名前の重さが違う」
毛を逆立て今にも攻撃してきそうな猫を摘み上げ肩に乗せるとガラッと窓を開けた。
「そんな事よりさぁ、こんな天気の良い日は散歩に行こう!」
「は?」
窓枠に置いてある草履を掴むと二階に位置する部屋の窓から飛び降りた。その瞬間、先程まで居た部屋の扉を叩く音がした。
「山田さんっ!そろそろ家賃払ってくれないといい加減追い出すよっ!」
綺麗に地に着地した宗四郎はいそいそと草履をはくと、そ知らぬ顔で歩きだす。
「…お前、逃げたな?」
「何を言っているんだい煉玉君。僕はたまたま散歩に出ただけだよ」
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