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僕を呼んだのは、小さなお爺さんだった。
握り拳のように皺くちゃの顔は、多分笑っているのだろう。曲がった腰が伸びたとて、成人男子の平均身長を有する僕の肩くらいにしかなるまい。首もとがよれた白いタンクトップを着用し、黒のあせた半ズボン。
そこから覗く脛に鮮やかな龍の彫り物を見つけて、僕は思わず凝視した。
「若気の至りでな」
僕の視線に気付いたようで、お爺さんはそう言った。
「いや、見事なものですね」
「ありがとよ。ところでお兄さん、金魚どうだい」
そこで初めて、お爺さんの足元の盥に気が付いた。
たっぷり張られた水の中に、彫り物のように鮮やかな金魚が泳いでいる。盥の脇に置かれた段ボールの看板には「一回百円」と汚い字で記されていた。
「掬っていかないかい」
紙のタモをちらつかせ、お爺さんが誘う。
改めて盥を見る。三十匹程の金魚達は、可愛らしい赤や妖艶な黒の身体を遊女の着物の如くくねらせて、それぞれに「わっちを買ってくだしゃんせ」「いいや、わっちを」と懇願している。
目が眩むような美しさといじらしらに、僕は自然と百円硬貨を廓の主に渡していた。
「はい、まいど」
うどんの器を傍らに置き、紙のタモと小さな茶碗を渡される。
しゃがんで水面を覗き込むと、先程まであんなに誘っていた遊女どもはパッと逃げた。気を引くだけ引いておいて、いざこちらがその気になるとこの態度だ。なかなかに客の扱いを心得ている。そんな態度を取られると、僕としても追いかけざるをえないではないか。
しばし悩んだ後、僕は一人に目をつけた。白地に赤い模様の入った、小柄なやつだ。つぶらな黒い目といい模様のバランスといい、充分に身請けしたいと思わせる容姿である。
早速タモを突っ込み、良いではないか良いではないかと悪代官の心持ちで追いかける。
ところが遊女はひらひらと身をかわし、遊ばれているうちにタモが破れてしまった。
「下手ねえ」
ふいに背後から聞こえた声に「やかましい」と言い返しながら振り向くと、そこにはいつから居たものか、一人の女性がしゃがんでいた。
「おや、お嬢」
お爺さんが言うと、女性は「お久し振り」と微笑んだ。
こんな小さなお祭りなのに、浴衣に草履を履いている。質の良さそうな白地の浴衣には、盥の中と同じように、幾匹もの金魚が泳いでいた。
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