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「一回ね」
金魚を纏う女性は僕を押し退けるようにして、細い指につまんだ百円硬貨を差し出した。そしてお爺さんからタモを受け取り、値踏みするように盥を覗く。
その白い肌と通った鼻筋に見とれた後、彼女が茶碗を貰っていない事に気付いた。
「お爺さん、茶碗、茶碗」
親切心から進言すると、お爺さんは煙草とマッチを取り出した。一本咥えて火をつけ、燐の香りの中で優雅に煙を嗜みながら「いいんだ、このお嬢は」。
はてどういう事か、と成り行きに任せていると、女性は勢い良くタモを突っ込んだ。ぴしゃりと跳ねた水が僕の目にかかる。
驚いて目をこすっているうちに、女性のタモには一匹の金魚が乗っていた。いきなり人を馬鹿にするだけあって、なかなかのお手並みである。
しかし、金魚を受ける物は無い。これからどうするのか、と思っていると、女性は自らの膝の上でタモをひっくり返した。
そんな事をしたら、浴衣の膝が濡れてしまう。何より金魚が窒息する。もっと悪ければ地面に転落する。背筋を寒くしながら「ああっ」と声を出すと同時に、可憐な金魚はぽとりと膝に落下した。
せめて地面への転落を防ごうと、僕は思わず自分の茶碗を差し延べた。ところが金魚は落下する事も無く、白い浴衣の上で一度跳ねると、まるで水に飛び込むかのように浴衣に飛び込んだ。
すると金魚は、浴衣に触れた所から平坦になり、やがて浴衣の模様と変じ、悠々と布を泳いで、女性の右太股あたりで落ち着いた。
「見事、見事」
唖然としているのは僕だけである。お爺さんは呑気にぱちぱち手を打ち鳴らし、女性は次なる金魚に目星を付けるべく水面を真剣に見ている。
そうやって二匹、三匹と軽々掬い取り、浴衣に十匹程の模様が増えた所で、女性はタモを僕に寄越した。
「もういいわ。後は貴方が使うといい」
タモは濡れているだけで、どこも破れていない。新品同様である。
手品でも見せつけられたような気持ちで、僕は思わず受け取った。
「貴方のお気に入りは、あの子でしょう。確かに可愛らしいわね。私の浴衣に欲しいくらい。でも残しておいてあげたから、もう一度やってみなさいな」
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