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からかわれている。
ここで断るなり反論なりしていれば、僕は体裁を保てたのだろう。しかしこう焚き付けられては、受ける他あるまい。くだらない意地である。
かくしてタモを水に入れると、追いかける間も無くタモは破れ、水に溶けて飛散した。
「ふふっ」
耐え兼ねたように漏れた女性の笑いが恥ずかしく、僕は顔が熱くなるのを感じた。
情けない。全くもって情けない。
「いやあ、お嬢にゃかなわない」
僕から茶碗とタモの残骸を取り上げる、お爺さんすら面白そうだ。
降り懸かる不甲斐なさにうなだれていると、女性はすっと立ち上がった。
「どう? 可愛くなったでしょう」
くるくると回る。袖や裾が広がって、金魚が舞う。
「それにしても、増えたなあ」
煙草をもみ消しながら、感心したようにお爺さんが言う。
「ええ。でもやっぱり、おじさまの金魚が一番よ。色が良いし、可愛いし」
「そりゃ有り難い。育てたかいがあるってもんだ」
褒められて、お爺さんが心底嬉しそうにする。その間にも女性は回る。金魚が舞う。赤い兵児帯が、金魚の尾のように腰で揺れる。
幾匹もの金魚を浴衣に統べる彼女は、まるで金魚の姫であった。
「それじゃ、また会いましょう」
回るのをやめた金魚姫は、お爺さんに手を振った。それから僕を見下ろして、
「貴方もね」
赤い唇で囁くと、何処へともなく帰って行った。
「変わった人ですね」
お爺さんに言ってみると、彼は深く頷いた。
「常連なんだ。その気になればいくらでも持って行かれちまうから、始めは嫌だったがね。しかしうちの娘ども、どうやらあのお嬢に掬われたいらしい。あのお嬢が来るようになってから、一段と色艶を増してね。ほうら、こんなに綺麗でしょう、わっちを模様にしてくだしゃんせ、てなもんで」
娘が綺麗に育つなら、俺も嬉しいのさ。
二本目の煙草を咥えながら、お爺さんはしみじみと呟いた。
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