0.裁判所

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「被告御崎晃司三等陸尉、証言台へ」   密かな時計の針の音すら響く法廷の中、普段の勤務ではあまり着ない制服に身を通し少し窮屈な思いで俺は立ち上がった。   平成七年 一月十七日火曜日、俺の故郷神戸はコンクリートのの山と化した“阪神淡路大震災”あの天災により俺は父を失った、俺と母は瓦礫に生き埋めとなったが運良く隙間に体が入り、父のように即死は免れたのだ。   生き埋めとなった最初の日は泣き叫んだ、母も当時小学生だった俺も、助けを呼んでいたのでは無い、俺と母の体の下に潰された父の血が流れ込んで来たからだ、瓦礫の間の狭い隙間では身じろぎ一つろくに出来ず、俺と母の体は父の血で赤黒く染まった。       瓦礫に生き埋めに合って三日目の事だ、体に付いた血も固まり涙も声も枯れ果てて、あぁもう助けは来ないんだと思い始めた頃、声を聞いたんだスピーカーから流れる声を、30分だけ救出作業を止め静かにするから生きているならば声を上げろと、だから俺は叫んだ、最後の声を体の底から絞り出すようにひたすらに叫んだ。   それからすぐに気付いてもらえた小さな瓦礫をどかし、「すぐに助け出す、待っててください!」そう声をかけてくれた人の顔は逆光でよく見えなかったけど、俺も母さんも助かる嬉しさで涙が溢れて来たんだ。   それからどれくらい経っただろうか、数時間かも知れないし数分かも知れない、聞き慣れない機械の音が近付いた、そして軽い地響き、何かを誘導する笛の音、多数の足音、誰かに指示を出す声、その全てが張り詰めた雰囲気を出し、俺も母さんも酷く緊張したものだ。   様々な声、はよく聞くと崩れた瓦礫をどかせるだの崩れるだのという声だった、どうやら俺達の上に積み重なる瓦礫は非常に不安定で撤去は難しいらしい、でもなんらかの方法は無いかと右往左往しているようだった、その時声がした、スピーカーに増幅された一際大きな声『どけ!私がやる!』静止する周りの声を押しのけ一際大きな音を上げる機械、瓦礫から差し込む日差しを遮る巨大な影、瓦礫の隙間を何かが入り込む、一人が入れるかどうかの隙間に見るからに重機のアームより太いそれが入り込んで来たため、瓦礫が崩れ始め軋みを上げる、俺はその恐怖から目を強く閉じた、頭の上で何かが割れる音や木が折れる音が雨のように降る。
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