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「ふぅん。 で、要するに何も観察せず、此処までやって来たということなのだね? よくもまあ、おめおめと顔を出せたものだよ、キミは」
「や…フツー、そんな悠長に観察なんてしねーだろ」
先程のT字路から数分後。
路地裏の、古びた建物の二階。
俺は勤め先である事務所に、無事到着していた。
だが――――厳しい寒さの中を懸命に通勤してきた自分を待っていたのは、労いの言葉でも温かい飲み物でもなく。
死体の報告をした俺に対する、容赦のない罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐だった。
「馬鹿め。 それでもキミはボクの下僕かね? そんなんだから無能と呼ばれるのだよ、この無能」
「すまん。 俺の知りうる限り、俺を無能と呼ぶのはオマエだけだクソガキ」
「黙れ。 誰に口を利いている微生物。 非礼を詫びて死にたまえ。 そして願わくば、無様に死に様を晒すがいいよ」
…駄目だ。
やっぱりコイツには、口喧嘩では永遠に勝てる気がしない。
もっとも、物理的な喧嘩を売ったところで、勝率など万に一つも存在しないのだが。
何時かのように、ナイフやら日本刀やらを無茶苦茶に投擲されるに違いない。
俺は内心で溜め息を吐きながら、目の前のデスクに両足を乗せる、14歳の少女を見やる。
悠然とした態度でふんぞり返る彼女は、乱月 紅華(みだれづき くれは)。
自分をここに呼びつけた張本人、俺の上司である。
絹の様に艶やかな長い黒髪に、幼さを残しつつも綺麗に整った顔立ち。
ムダに可愛らしい顔をしている分、吐き出される罵倒の言葉の威力も凄まじい。
この季節になっても、身に纏うのは相変わらず、無数の蝶模様をあしらった、薄手の赤い浴衣。
それが妙に似合っているので、あまり違和感を抱かない。
それにしても、この毒舌だけはどうにかならないのだろうか。
黙ってりゃ大和撫子なんだけどな。
つくづく勿体無いと思う。
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