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未だ目の前で起きていることが信じられないのか、全く思考が回らない。働かない。否、俺の思考が否定し続けているのだろう
旦那が死ぬ筈がない、と
覚束ない足取りで己の主、幸村の元へと一歩、また一歩とふらふらと歩み寄り距離を縮める。どうか生きていて、と数奇な可能性を祈りながら、からからに乾いた喉を振り絞り、有りっ丈の声量で主を呼んだ
「…旦、那…っ」
だが幸村から応答はなかった。震える手で幸村の頬に手を伸ばしそっと触れるとあの頃のような暖かさはなく、今は氷のように冷たくなってしまっていた
嘘だ嘘だ嘘だウソだ!
嘘だ嘘だ、と呪文のように唱え続ける。信じられない信じたくない。けれど今起こっている現状は確かで、心の臓が軋み、悲鳴を上げる。目の奥がじわりと熱くなり何かが込み上げる。忍として生きるために随分と前にしまい置いてきたものだ。忍には感情などあってはいけない、仕事の上で邪魔になるのだ。だから泣いてはいけない、感情を露わにしてはならない
だが、今は堰を切ったように溢れてくる。拭っても拭っても止まらない。止めようにも止め方が分からない。幸村の胸に顔を寄せ鼓動の音を聞こうと耳を傾けたが何も生気を感じられるものなど聞こえなかった。それが真実だという現実味を帯びた何よりもの証拠で認めざる終えなかった。もう何も考えられない
「旦那が居ない世なんて…」
俺には要らないんだ意味がないんだよ
旦那が俺の全てでした。俺にとっての光で唯一の希望だった。俺が持つことのできないものを持っていた。とても暖かな旦那が羨ましかった
それは尊敬
それは憧れ
それは色恋
そのすべてがたった今、この戦で失われてしまったのだ。たった一つの光を失ってしまった俺に生きる意味はあるのでしょうか。最早、旦那が居ない天下になんて興味がない。否、自分には全く意味を成さないものだろう
己に残された道はただ一つ、
「旦那、待ってて…もう直ぐあなたの元へ参ります」
従順で哀れな忍は愛しい主の元へと旅立つ(来世でまた、逢いまみえんことを、)
終
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