護符の勾玉

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護符の勾玉

 息苦しい湿った空気が漂う初夏のある日、住宅街の一角に有る閉鎖された遊園地内の小さな神社の前に、一人の白い狩衣姿の神職と濃紺色のスーツに身を包んだ一群がいた。  その一群の最前列には、恭壱朗と磯原、そして久司の姿が有り、彼らの後ろには蓮子ら摂西電鉄の専務以下重役陣や社員達が並んでいた。  この遊園地は、摂西電鉄が約70年の長きに渡って運営してきた『紅洲(べにす)摂西パーク』だったが、世情の変化に伴い客足が遠のき、遂に磯原の決断によって閉園した。  そしてこの神社は、摂西電鉄が開業五十周年を機に、摂西電鉄の発展に尽くした故人、または業務中の災害や経営トラブルによって命を落とした社員や関係者を祀ったもので、『摂西神社』の名を与えられていた。  神職が祝詞を上げ終え神社の扉を開くと、中には御幣と古い桐箱が一つ安置されていた。  磯原が神職からうやうやしくその箱を受け取り、恭壱朗に渡したその時、恭壱朗の手から箱が滑り落ちたかと思うと、軽く鈍い音を立てて箱の蓋が開き、中から赤や深緑や紫の色とりどりの勾玉が通された水晶の首飾りらしきものが現れた。  その場にいた一同が顔をしかめたのは言うまでもない。しかし恭壱朗はすぐさま箱を拾って小脇に挟み、胸ポケットから白いポケットチーフを取り出し勾玉飾りを丁寧に拭くと、次に箱が割れていないかを確かめ、勾玉飾りを箱に入れるとそっと箱の蓋を閉めた。  恭壱朗がまだ副社長だった時の話である。
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