桜花―― 別れの春

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  負の思い込みが強すぎて、流風は気づけなかった。 自分の右手を彷徨う傀藤の手が、かすかに震えていた事に。 吐き出せなかった告白が消化不良を起こし、流風を内側から苦しめる。 足許の大きなバッグを抄い上げ、歩き出す傀藤の背中が、ゆらゆらと霞んで見えた。 初恋は斯くも儚く散ってゆくのだと、まだ花も開かぬ桜と重ね、しみじみと思う流風。 春は一番嫌いな季節になると、何かをあきらめかけた時だった。 「――時間、くれへん?」 背を向けたまま、傀藤が云った。 「おまえが、我慢できるだけで  ええ。 オレに、時間……  くれへんか?」 振り返り、流風の瞳と心を同時に捉える傀藤。 「ぶっちゃけ、オレ、ビビって  んねん。 自分で決めた道  やのに、情けないやろ?  ……せやから、“戻る場所”  云うんか? それ、今は作り  とうないんや」 「……傀藤、くん……?」 それほど婉曲な表現ではないが、流風には傀藤の真意が判らない。 彼も彼で、意味深な言葉を紡いだ口許を掌で乱暴に塞いだ。 急かすように開かれた列車のドア。 吸い込まれる背の高い傀藤を見上げ、流風は口唇を結ぶ。 涙と言葉を堪えている様は、ホームを見降ろす傀藤にも伝わった。 「今日のこと、おまえに云わ  へんかったんは――」 思わず、隠していた本心を吐露しようとする傀藤の声を、発車を告げる無情な機械音が遮る。 「逢うたら、おまえを――」 負けずに声を張る傀藤を、今度は緩やかに閉まるドアが制した。 「傀藤くん――――っ!」 この列車は、彼を17時間隔てた世界へと連れ去ってゆく―― 軋む音は、残された流風の心を気遣う事なく響き渡った。 「逢うたら、おまえを……」 自分を追う流風の姿が小さくなり、車窓の景色に融けてゆく。 「抱きしめとう……  なるからや――――……」 そして、紡いだ傀藤の本音も、ため息と共に融けた。  
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