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翌天正3年(1575)、大友宗麟の援助により豊後から舞い戻った兼定は伊予宇和島で挙兵し、旧臣達を従えて本拠の中村へ帰郷した。
すると一条への義を感じる士豪が次々と参陣し、その兵力は3500にも昇った。
渡川(四万十川)河口部の西岸、栗本城に本陣を構えた兼定は渡川に杭を打ち込ませ、地形を利用した迎撃の用意を始めた。
兼定の周到な戦術に舌を巻いた旧臣達は、どうしてこのような作戦が立てられたのか、と尋ねたところ兼定は、隠居先の宗麟から学んだ、と、だけ答えた。
兼定も隠居先で無駄な生活は送ってないようだ、と驚いた元親であったが、そのわずか三日後に中村へ7300の軍勢をもってして押し寄せた。短期間で多勢を揃え進軍してきた様に一条方は恐れ戦き、逃げ出す者まで出たそうだ。
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