336人が本棚に入れています
本棚に追加
永禄12年(1569)、7月、元親は3000の常備兵と4300の一領具足を率いて岡豊城を出陣した。
そして、安芸領の和食(わじき)に陣を張った。
一方、国虎は5300の兵を集めて八流に陣を張った。
「さて、どうしようものか・・・重俊、何ぞ案はないか」
「軍を二つに分け、一つは海沿いから。残りは内陸から攻めかけるのが妥当かと」
「なるほど。親政、そなたは陽動隊でいち早く背後を突け!」
「明後日にも吉報を届けましょうぞ」
そう言いながら、親政は500の手勢を率いて、我先にと和食を出た。
その作戦は当たり、安芸軍は壊滅的な被害を被ったのであった。
国虎は安芸城目指して、後退して行きながらも交戦したが、数多の家臣の内応や一条氏の援軍が到着しなかったこともあり、初戦の矢流山の決戦から次々と敗北し、軍団も総崩れとなって、遂には安芸城に撤退することになった。
最初のコメントを投稿しよう!