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天正元年(1573)9月、兼定34歳の時、老臣達に隠居を強制され翌年、豊後の国、臼杵に追放され、大友氏を頼った。
これを聞いて憤慨したのが、加久見城主、加久見左衛門(かくみ さえもん)である。
兼定追放後、普段から内政を立てている家老衆に反感を抱いていた大岐左京進、大塚八木右衛門、江口玄蕃、橋本和泉らと謀り、にわかに兵を挙げて中村を襲い討伐した。
この期を元親は逃さなかった。
混乱に乗じ、反乱鎮定と名を打ち、中村を占領した。
こうして、元親は一条の多少の旧領はあるものの、ほぼ土佐を統一したことになる。
天正2年(1574)のことであった。
ちなみに余談だが、この前年には信長が室町幕府を滅亡させている。
この時点で元親は信長にかなりの天下取りの線上で遅れを取っていたといえる。
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