読書日記② 大矢数

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俳揩の 息の根止めん 大矢数ー井原西鶴 >なんでこの句から日記を始めたかというと、前回の文章が読みようによって、こんなに読んでます(偉いでしょ)的に取れてしまう気がしたからです。 >量が質を産み出す、ただし創意工夫が伴えば、という自分の考えに従ってとんでもない乱読をして来ました。そこに思考が存在したか、確かめたいのがそれです。 >井原西鶴は冒頭の一句を皮切りに一昼夜で三万八千句を読み上げ、競技としての発句、大矢数にピリオドを打ったそうです。物理的に限界だそうで。筆記者は最初句を書き留めていたけれど、途中から正の字を書いて数を記録するのが精一杯だったとか。 >その時代には音声記憶出来る機械がなく。 現代には井原西鶴はいない。 >俳揩に留めをさした後に書かれた名作を読むのもいいけれど、かなうことならばその五、七、五の奔流に呑まれてみたい。 >熱気に包まれた猛暑の街。その片隅でそんな渇きをもて遊んでました。 >付記。俳揩は俳句(基本的に季語が入らなければならない)以前の表現方式。五、七、五の定型は同じで滑稽味が重んじられたそうです。 >その俳揩を一刻(二時間)の間に何句詠めるかを競う競技を矢数と言っていたとか。 >西鶴が挑んだ大矢数はその究極で丸々1日をかけて詠んだ俳揩の数を競うものでした。 物理的限界だというのは常に、五・七・五の句を発音し続けて(ノン・ストップで)三万八千句は限界数だという意味だそうですが。 詠むのと同時に発句し続けて24時間! 記録に挑んで挫折した人のコメントを是非取ってみたかった。
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