第二章 1 過去の傷跡

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それでも、藁にでもすがる想いで側近を束ねる風の精霊ウィルグが呻くように月の女神に問い掛けた。 「本当なのですか……?なにかの――」 一度言葉を切り、己の内から聞こえるやめろという声にウィルグは口ごもる。 聞いては、ならない。 聞いては、ならない。 聞けば微かな希望さえ断たれてしまうぞとささやく声音に、ウィルグはきつく、くちびるを噛み締める。 脳裏を占めるのは、まったく印象の違う愛すべき美姫たちの姿。どちらも優れた力と女神としての資質に恵まれた、美貌の姉妹。 そのふたりの仲むつまじい姿が、ひとつの過去を呼び寄せる。 哀しい哀しい過去を呼び寄せる。 それは、禁忌。 封印されるべき記憶。 長い寿命を持つ精霊ですら、遠い記憶となってよい時が流れたはずなのに、それは昨日のことのような鮮やかさでもって、ウィルグの心をなぶっていく。 (また……) 絞り出すという表現がぴったりの苦渋に満ちた声音でつぶやく。 ただ、それがつぶやかれたのは心の中であった。
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