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何だったのだろうか、あの男。
あんなに必用に聞いてくるなんて、何か裏がありそう。
ややこしいことは今はしたくないし、掃除も片付けも、やっと要領が掴めてきた。
けれど、それも明日まで。
明日には、元気な二人の姿が見れる。
そう思うと、少し嬉しい。
――もう月夜の晩。
昨夜から借りている隼人さんの部屋は、あまり広いとは言えないけれど、部屋としてはとても快適だった。
布団もちゃんとあるし、何よりも格子から、月が見える。
遠い月が、私をほのかに照らし出してくれる。
遥かに、久遠に、遠い月が。
高杉さんもこの空に浮かぶ月を眺めているだろうか?
どんな気持ちで見ているだろうか?
私のことを少しでも考えていてくれたらいいと考えてしまう私は、女々しすぎて嫌いになってしまいそう。
今でも忘れられない、あの寂しそうな瞳、煙管を吸う姿、夕陽を遮る後ろ姿、そしてあの別れ。
いつも私は、こう思う。
私はなんて非力なんだろうか、と。
「おい、入るぞ」
部屋の外から声が聞こえると、返事も聞かずにがらりと開けた。
荷物を持っているらしく、足で器用に開けたみたい。
なんだか複雑な気持ちになる。
「飯、出来たから食え」
「はい、ありがとうございます」
と、湯気の立つ食事を受け取り、一先ず文机にお盆を下敷きに共に置いておく。
「じゃあな、食ったら台所に置いとけ」
隼人さんはすぐに手をひらひらとさせて帰っていく。
分かりました、と伝える前にどこかに言ってしまうのでどうしようかと反応に困る。
温かそうな料理が並ぶ食膳は、今の私には受け付けなかった。
見るだけで吐き気がする。
不味いから食べたくないという訳では全然なくて美味しいのだけど、すでに気持ちがお腹いっぱいで、食べれそうに無かった。
昨日もそうだった。
(ここしばらく、こんな事はなかったのになぁ。何がそうさせるのだろうか)
申し訳ないと思いながら、私は膳に手をつけず、格子に近づき、空を見続けた。
しばらくして隼人さん達が、寝静まった頃に、足音を発てないように足の先まで神経を集中させ、ゆっくりと階段を降りてから草履を履くと、外に出た。
誰もいない大地は、まるで私をこの世にたった一人の存在だと伝えてきているよう。
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