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『剣と魔法の憩い亭』
アッシュ
2011/12/27 | 更新 2013/6/21
《歴史書庫》
“剣と魔法の世界”に関わる、現実の『歴史』を保管するための書庫です。 主に中世、また中世に繋がる様々な『歴史』を、共に学んでいきましょう。 (12月27日 23:15 追記:) ※注意※ ・同じ
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89・
アッシュ
2013/6/21 20:18
ごぶさたですね。(^_^;)
ひとつ、テレビで見たので投稿を。
タイ(国名)には、曜日によって、生まれた赤ちゃんに付けられない文字があるようです。
また、占い師などに付けてもらうようですので、親が付けるわけではない。
こういった歴史も、中世らしくなる要素のひとつかなと思いましたので。
名付け親とか、気苦労が窺えますね。
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88・
アッシュ
2013/3/13 0:57
>>[[8917221]]
これにより、教会にとっては異端と思える研究や議論がなされたりし、教会との関係は好ましくなくなりました。
関係の悪化とともに、教会側の大学への弾圧が始まったのです。
大学は自由な学問をめざし、自治権を主張して闘いました。
結果は大学側の勝利でした。
この後、14世紀以降に続々とヨーロッパに建てられることになる大学の多くは、パリ大学を模範したものです。
-------
しかし、結構なお金も必要だったようで、世紀が進んだからと言って、誰しもが平等に満足できる教育を受けられたわけではないようです。
”少年に宛てられた手紙には~”なんて書いたところで、「
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87・
アッシュ
2013/3/13 0:48
>>[[8917133]]
パリ大学は人文、法律、医学、神学の四つの学部に分かれ、その内、人文部は教養課程にあたり、文法学(ラテン語)、修辞学(文学の読み書き)、論理学(哲学)、算術、幾何学、天文学、音楽の計7科目を修めることにより、専門分野へと進む試験を受けることができたのです。
専門課程に進む者は決して多くはありませんでしたが、この課程を修了すれば教育者としての資格を持つことが出来ました。
また、さらに進めば教授としての資格がローマ法王から許されたのです。
この教授としての資格は世界中どこへ行っても通用する身分を保証されたものでした。
こうして、教会の管轄から始まった大学で
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86・
アッシュ
2013/3/13 0:46
『大学』
中世において文字の読み書きや算術の出来るのは、ほんの一握りの人々に限られていました。
そのほとんどは聖職に携わる人だったのです。
当時、学問を学びたいと思う者は、司祭などから教えを乞うわけですが、それは学問とよぶにはお粗末で、聖書が読める程度の読み書きや簡単な
算術ぐらいでした。
時代が進み12世紀になると、イタリアのボローニャやフランスのパリに大学が
建設されます。
当時の大学は教会の附属校から発展したしたものが多く、パリ大学も、もとはノートルダーム寺院の附属学校でした。
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85・
アッシュ
2013/3/9 0:40
【中世の警察組織】
Q:
治安維持組織として住人達による自警団が発達していたということは分かりますが、たとえば殺人事件などが起こった場合、現代でいうところの「殺人課の刑事」といったような専門に事件を捜査するような組織や役職などは何かあったのでしょうか。
12世紀~15世紀ぐらいのヨーロッパということであれば、詳しい年代や場所は問いません。
A:
例えばイングランドの場合、「十人組制度」というものがあって、これがちょうど日本の五人組と同様、連帯責任を負っていて、住民の内部的な警察機構になってもいた、ということ。
また、古いしきたりにもとづき、代官とその下役人が、日常的な管理を行っていたこと
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84・
アッシュ
2013/3/4 22:40
【ルーン文字】
呪術や儀式に用いられた神秘的な文字と紹介されることもあるが、実際には日常の目的で使われており、ルーン文字で記された書簡や荷札なども多数残されている。
呪術にも用いられていたが、それが盛んに行われるようになったのは、むしろ、ラテン文字が普及し、ルーン文字が古めかしく、いかにも神秘的に感じられるようになった時代に入ってからである。
世界最古のルーン文字は、北ドイツで出土した1世紀の遺物のブローチに彫られたものであるといわれている。
その他にはブラクテアートと呼ばれる薄い黄金製の円盤にルーン文字を刻んだものが多数発見され、護符を兼ねた装飾品として扱われていた。
個々の文字をルー
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83・
RICO
2013/2/24 15:50
『ヤードとメートル』
1マイル=1760ヤード(1609.344メートル)
1ヤード=0.9144メートル(91.44センチメートル)
1フィート=1/3ヤード(30.48センチメートル)
1インチ=1/12フィート(2.54センチメートル)
イギリスでは古くからヤードポンド法が用いられており(21世紀に廃止されました)、そこから独立したアメリカでは現在も使われています。
それ以外の国では、国や地域によって様々な単位が使われてきましたが……
やはり統一された単位が無いと困るとして、18世紀末フランスでメートルが発明されて以降、そう長くないうちに世界中に広まったようです。
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82・
アッシュ
2013/2/21 0:15
『ヤードポンド法より、インチ』
1インチの中に普通16のメモリがついています。
それぞれのメモリは分数で読みます。
ですので、ひとメモリが1/16です。
分数の読み方は、日本語の読み方と逆転して分子から読みます。
分子は普通に(one, two, three...)と読みます。
分母は曲者で(third, fourth, fifth...) と読みます。
そして分子が複数の場合、分母を複数形の“S”をつけて読みます。
つまり
1/3 = one-third
2/3 = two-third ではなく、 two-thirds
5 1/3の場合は、Five and one-thirdと
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81・
アッシュ
2013/1/6 19:38
>>[[7453058]]
バリナヤが咲き乱れ、その平野は一面が深紅に染まっていた。
※中略※
姫様はバリナヤを纏われているかのようなドレスで身を包み、静々と階段を降りる姿に皆が目を奪われていた。
……と書けば、「紅いドレスなんだな」とわかります。
架空であれ、歴史や生物を前述しておけば問題はない。
現実から引っぱってきても、それが不思議なことでなければ、特に取り立てることではないと思います。
難しいですよね。(ーー;)
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80・
裏主人公
2013/1/6 18:40
>>[[7451499]]
これは俺の場合ですが、ハイファンタジーでは基本的に言語は日本語でなく、日本語でないものを日本語で描写するという絶対的な違いは必ず孕まれるので、これは最早他言語の意訳に相当するものだと考えています。
なので、そこは使い分けでしょう。現実発祥のものでも、架空世界では別な起こりを迎えた可能性は十分にありますしね。それが世界の根源に関わるほど重要でない限りは、さほど気に病む要素ではないように思います。
まあこんな意見を持つのも、俺自身が歴史嫌いだからでしょうけどね。
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79・
アッシュ
2013/1/6 17:16
>>[[7444874]]
>>[[7450157]]
ちなみに『ネイビー』は、海軍の軍服から来ているみたいですから、あまり使いどころがありません。
創造世界の海軍が黄色を着てれば、黄色が『ネイビー』になるかもしれない。
表現からきた色は、この世界でしか使えませんよね。
読者主体のラノベなら大丈夫な気がしますが、注意していきましょう。
ちなみに、宝石類からなら、けっこう使いまわしがきくと思います。
産出地だけ注意すれば、「透きとおる青に飛び込む。どこまでも広がるターコイズブルーの海が、一糸纏わぬ私を包む……」みたいな、なんかかっこよろしい表現はできますよね。
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78・
霞峰 水海花
2013/1/6 15:47
>>[[7442447]] うむむ、そこまで気にした事無かったです(゚゚;)私の作品の場合、西洋風の地域と東洋風の地域が混在する世界ですが、普通に「ピンク」とか「薄桃色」とか使っちゃってます。
あとは、ちょっと格好つけて(←なぁ~にぃ~! やっちまったな!w)宝石の色で表してみたりですね。翡翠色、琥珀色、緑玉色(エメラルド)、ターコイズブルー、等々……。
変にひねりすぎて読者に伝わらなかったら、逆効果になりかねないですしね……。ならシンプルでいいのかなという気もしますし、やはり考え方次第ですよね(^_^ゞ
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77・
クレヲン
2013/1/6 10:58
>>[[7442447]]
色に関する一般的な呼称について、植物や動物等の名前がついている色は主に和色である可能性が高く、欧米ではそう呼ばれない事が多いです。
例えば、紺色、群青色、空色は欧米では全てブルーと呼ばれます。
ただ、ファンタジーであれば細かいことを気にせず、和色の微細な色世界を導入しい鮮やかな世界を描くのも一興。そこは考え方ひとつでしょう。
Wikiの色名一覧なんか役にたちますよ。
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76・
アッシュ
2013/1/6 4:30
『桃』
「桃色の~」といった表現を用いたかったのですが、“桃は欧州でも存在したのか?”と考えてしまったので調べました。
存在しない物を表現には使えませんからね。
――
原産地は中国西北部の黄河上流の高山地帯。
欧州へは“1世紀頃”にシルクロードを通り、ペルシア経由で伝わった。
英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語のpersicum malum(ペルシアの林檎)から由来している。
――
調べものが絶えませんね。(^_^;)
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75・
アナトリア
2012/12/24 15:09
>>[[7105422]]
そんな狙撃に必要なのは
・忍耐力
・集中力
・経験
・技量
である。特に技量と経験においては持ち手の得物の特性を充分に理解していることと戦場の環境を考えるために豊富な経験は必要である。
技量は必ず当てる為に必要な物であり、弾道特性、飛距離、風、重力、湿度、気温、呼吸の乱れ等を考えて必中させるのでありそれに技量が必要なのである。
剣と魔法に置いては弓矢やクロスボウが狙撃に適している武器でありこれらを使って狙撃をするのが自然では無かろうか。
<備考>
・狙撃に適している職業で有名なのは猟師である。
かの有名なシモ・ヘイヘ自身
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74・
アナトリア
2012/12/24 14:55
『狙撃』
人類が戦場において個人携行用長距離射撃武器を手にして以来行われてきた攻撃方法の1つである。
狙撃に課せられた任務は指揮官又は対象を長距離から射殺する事である。
軍隊はつまる所指揮官が指揮をして兵を動かす。その指揮官が倒されれば兵はすぐに烏合の衆になり、代理を立てるまでは動かす事ができない。
つまり、狙撃で長距離から射殺する事で指揮系統に乱れを起こさせその隙をついて攻撃するのであり、狙撃は重要な攻撃手段でもある。
また長距離間射撃による狙撃は当たらなくても狙撃兵がいる事を敵に知らせ心理的な恐怖を与え、進撃を遅らせる事が可能になる。ちなみに敵に狙撃兵がいた場合は3倍の兵力
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73・
RICO
2012/12/14 18:58
『馬車について』
人類が文明を築いた頃には、馬は家畜として利用されてきました。
四大文明のうち、エジプト文明以外では馬車が使われていた形跡があり、古代中国の殷では早くも戦車が使われていたようです。
17世紀になると現在のタクシーに繋がる『辻馬車』や、同じくバスに繋がる『乗合馬車』が誕生するなど、大衆にも親しまれるようになりました。
とはいえ馬車の維持にかかる費用は馬鹿にならず、行商人や郵便配達など仕事のために所有する人を除けば、もっぱら裕福な身分の人でなければ所有できなかったようです。
中世ファンタジーものでは4輪式の馬車がよく見られますが、若い貴族やかけだし騎士などは安価な2輪式
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72・
アッシュ
2012/12/11 18:12
『中世の窓(ガラス)』
ファンタジー作家の要注意点ですね。
教会、裕福な職人の家、市参事宴会場、組合会館等、中心的な役割を果たすような建物に窓ガラスは使われていた。
中世で使われていた窓ガラスはガラスを吹いてフラスコにして底辺を切り取ったものを何枚も貼り付け一枚の窓とし た。
丸い瓶底がたくさん並んでいるように見えたのである。
現在のような板ガラスは18世紀になるまで待たなければならない。
しかし一般市民にはガラスは高嶺の花であり、中流階級に位置する人はドアや板戸に菱形、ハート型に穴を開けて、そこに羊の皮を薄くのばした羊皮紙を張った。
羊皮紙は薄かったので、ぼんやりと光が入った。
もちろんそ
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71・
アッシュ
2012/11/30 16:02
『千夜一夜物語』
(せんやいちやものがたり)
アラビア語でまとめられた説話物語集である。
千夜一夜物語は、日本語では千一夜物語、アラビアンナイトとも呼ばれている。
妻の不貞を見て女性不信となったシャフリヤー ル王が、国の若い女性と一夜を過ごしては殺していたのを止めさせる為、大臣の娘シャハラザード (シェヘラザード)が自ら王の元に嫁ぐ。
そしてシャハラザードは千夜に渡って毎夜、王に話をしては気を紛らわさせ、終に殺すのを止めさせたという物語が主軸となっている。
(また、姉 のシャハラザードの傍らに、妹のドゥンヤザー ドもいる)
話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシャハラザードが打ち切
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70・
アッシュ
2012/11/30 10:24
『死者の書』
古代エジプトで冥福を祈り死者と共に埋葬された葬祭文書。
パピルスなどに、主に絵とヒエログリフで、死者の霊魂が肉体を離れてから死後 の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。
冥界へ降る魂に死後の世界、及び、そこで受ける裁きについて、死者の裁判官、ウンネフェル(永遠に朽ちないという意)なるオシリスに会った時に語るべ きことなどが記されている。
心臓(イブ)を天秤にかける死者の裁判の章は有名である。
真理の女神マアトの羽根(真実の羽 根)と死者の心臓がそれぞれ秤に乗っており、魂が罪で重いと傾くようになっている。
秤の目盛りを見つめるのは冥界神アヌービスで、死者が真実を語
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69・
アッシュ
2012/11/15 12:31
>>[[6273340]]
13世紀から14世紀になると、素材に皮革製のものが現れ、また布製の場合は裾丈が膝下から足首のものまで様々なものが作られた。
ブレーの上端は革製のベルトでウェストに支えられた。
丈の短い上衣が現れると、ゆったりしたブレーはバランス上、丈が短くなり、逆にショースの丈が長くなっていた。
15世紀にはショースの丈が腰を包むほどに伸び、その結果ブレーは腰まわりを覆うだけの肌着(ズボン下)と化した。
ブレーという名称は1400年頃まで使われたが、15世紀後半からプティ・ドラ (petits draps) という名称に取って代わられた。
プティ・ドラは腿のあたりま
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68・
アッシュ
2012/11/15 12:25
『ブレー』
ブレー(仏: braies)は中世初期から15世紀にかけて西欧男子が用いた長ズボン。
ブレーの起源は古代ゲルマン人まで遡る。
古代ローマ人が紀元前121年にガリア人を征服したとき、その長ズボンを野蛮な風俗とみなして、 ローマ人は彼らを "Gallia Bracata"(長ズボンを穿いたガリア人)と蔑んだ。
しかし中世初期以降は、乗馬の必要性から、この長ズボンが男子の中心的脚衣として広く使われるようになった。
初期のブレーは麻製のゆったりした長ズボンだった。
ウェストには穴があけられ、そこに紐を通し絞って使用した。
裾は革のゲートルを巻いて絞るか、紐でくくる
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67・
アッシュ
2012/11/13 12:04
『下着について』
まずは抜粋――
中世ヨーロッパ人は(現在のような)下着をつけていませんでした。
現在あるワイシャツですが、元はこれが下着でした。
今のものより後ろの裾が長く、それをフンドシの様に前に回し、ボタンで留めて、下半身を包んでいました。
(今のワイシャツの裾がカーブしているのは、その名残り)
――こんな答えをよく見かけるとは思いますが、ことファンタジー作品については、下着を使用していても問題ないと考えます。
まず、技術的な問題がない。
下着を着用するという常識は確立されていたということ。
そして、現代の下着と似たデザインのものが、中世以前から存在している。
これは、下着
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66・
アッシュ
2012/11/10 7:43
>>[[6152093]]
比喩で言おう。
あなたの住居に、旅人がやって来た。
そこであなたが歓迎すると、旅人は「ありがとう」と言って、もてなしを受けた。
たがいに食事をし てくつろいでいるところで、旅人は突然、銃を取り出して、脅かした。
あなたが驚いていると、旅人は殴り放題で、あなたの家族を皆殺しにした。
そのあとで旅 人は言った。
「おれがこれほど勝てたのは、おれが優 秀だからだ。銃には弾が入っていなくても、おれの優秀さで勝てた。わかったか、馬鹿者め」
そしてあなたを刺し殺した。
――まぁ、僕はそんなにアメリカンだの白人だのと、全体をおとしめるような発言は嫌いですが、書
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65・
アッシュ
2012/11/10 7:38
>>[[6152025]]
まだまだ面白いので続けます――
スペイン人がインカで勝利した場面は、第3書に詳しく述べられているが、そこでわかることは、次のことではない。
「スペイン人とインカ人とが大激突して、前者の軍が後者の軍を圧倒した」
このような正々堂々たる戦いは、(最初は)なかった。
実際にあったのは、次のことだった。
「おたがいに平和を唱えて、スペイン人はインカ人の集まりに招かれた。その友好の式典のさなかで突然、武器を取り出して、大虐殺を始めた」
こうして、たったの168人しかいないスペイン人兵士が、大混乱のさなかで、8万人のインカ人兵士に歯向かい、7000人を殺してい
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64・
アッシュ
2012/11/10 7:32
>>[[6151954]]
ラプ=ラプ王は……
マゼランの49人に対して1500人の軍勢を配置していた。
しかしマゼランは圧倒的に多数の敵を前にして部下に、「あのエルナン・コルテス隊長がユカタン地方で、200人のエスパニャ 人でもって、しばしば20万、30万の住民たちを打ち破ったということを我々が耳にしたのはつい最近のことではないか」と演説し、寡兵にも関わらず戦闘に突入。
しかし、30倍の数の敵に対しマゼランの兵はやがて敗走。
多勢のラプ=ラプ王の兵の竹槍はマゼラン達の甲冑に通じず戦いは1時間に及んだが、ラプ=ラプ勢は防具をつけていない足に攻撃を集中し始め、遂にマゼランは戦死す
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63・
アッシュ
2012/11/10 7:25
>>[[6151516]]
上記アンカーにて、「評価者が抜粋したものを抜粋したため、省略された感が否めない」と述べましたが、評価された方も内容に納得されていなかったようです。
読み進めると面白かったので、こちらも抜粋します。(^_^;)
「スペイン人が征服できたことには、鉄が重要だった」 というのが著者の説だ。
一方、私の説は、 「そもそもインカ人は戦争という概念がなかった。もし戦争をしていたら(原住民の側に戦う意思があったなら)、168人いる鉄の軍団は、8万人の原住民に、あっさり負けていただろう」 というものだ。
このどちらが正しいかは、自明の理だと思えるが、 実際に歴史上
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62・
アッシュ
2012/11/10 6:26
『狩猟民族から農耕民族へ』
(以下、抜粋)
狩猟民族から農耕民族へという転換が世界各地で見られる。
その理由は何か?
実は、その二つは、明白に境界があるわけではない。
初期には中間的な段階があった。
狩猟民族がちょっとだけ農耕をするような段階があった。
ただしその後、農耕民族が増えていっ た。
その理由はいくつか考えられる。
気候変動、動物の絶滅、野生種の増加、農作技術の向上など。
特に重要なのは、人口の増加だ。
「食料安定で人口が増え、すると文明が発達し、すると食料生産が増え……」という具合で、相乗的に人口増加が生じた。
こうして人口増加と文明発達が生じると、人口が少なくて文明発達のない狩
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61・
アッシュ
2012/11/10 6:19
『農耕文明の発生に関して』
(以下、抜粋)
世界各地には農耕に適した土地はたくさんあるが、 そのすべての土地で農耕文明が発生したわけではない。
多くの土地ではかなり新しい時代まで、ずっと狩猟文化が続いており、農耕文明は発達しなかった。
それはなぜか?
その理由は、農耕のために必要な農産物は、限られた土地にしかなかったからだ。
小麦・ 米・ジャガイモ・トウモロコシ・エンドウ豆・ヒマワリ・サトウキビ・コーヒーなどは、いずれも特定の土地において野生種から取り込まれて飼育栽培種となった。
それらの農産物が伝播するには、二通りがあった。
一つは、交易を通じて、物だけが伝播した場合だ。
もう一つは、農耕
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60・
アッシュ
2012/11/10 6:12
>>[[6151516]]
ではなぜ、このようなことができたか?
著者の見解では、こうだ。
銃は12丁しかなかったし、弾丸もろくになかったが、鉄製の銃剣などの刃物によって殺せた。
それができたのは、銃があって威圧できたこともあるが、馬によって圧倒的に優位に立ったからだ。
馬は非常に強力な武器なのである。
また、インカ人がスペイン人の奇襲を受けたのは、疑いを知らなかったからだが、疑いを知らなかったのは、インカ人が文字をもたなかったからだ。
文字をもたなかったがゆえに、 疑いを知らず、奇襲を受けてしまった。
また、病原菌も重要だ。
スペイン人の持ち込んだ天然痘が大流行したせいで、そ
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