幕末★長州
   長州好きなので、一番はじめに作っちゃいました。  長州に関する逸話、史料など投稿しましょう。
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6・ 飛翔 流浪
>>[[14660185]]
 久坂玄瑞が海外に行ってたら――どうなんでしょうか。

 
 ただ、玄瑞は安政年間ではもっとも洋学の知識を持ち合わせていたのではないでしょうか。
 蘭学も原典を読んでるみたいですし、英語の重要性をいち早く理解したのも久坂なんですよね。

 そのうえで、洋学を学べば軽薄になる、と釘を刺して、藩の教育にもの申してますから……。

 洋学の重要さを理解したうえの攘夷という、とても複雑な人ですよね。
 


 晋作でも考えが変わったので、もしかしたら変わったかもしれませんが、おそらく晋作ほど大胆な開国論を持たなかったと思われます。
5・ 飛翔 流浪
 
 ちょっと笑った晋作の話(らしい逸話)


 安政六年の春、昌平の同舎生と時事を語らい、そこで晋作は、世道の衰微と西洋列強の砲艦外交を嘆き、一同に対して経世済民の志を貫徹し、詩歌文儒へと堕することのないようにと釘を刺した。その上で各自の鬱懐を詩に託し、巧拙を競うことを提案すると、誰もがこれに賛同した。

 そして最低点をとった晋作が、その序文を書かされるはめになった。それが「十春闘詩の序」である。


 
4・ 上杉ゅぅ
久坂玄瑞先生が詠んだと言われます、
【今様歌】です。

世はかりこもと乱れつつ
あかねさす日のいと暗く
瀬見の小川に霧たちて
へだての雲となりにけり
うら痛ましや、たまきはる
内裏に明暮れとのいせし
実美朝臣(さねとみあそん)に季知卿(すえともきょう)
壬生、沢、四条、東久世
その他錦の小路殿
いまうき草の定めなき
旅にしあれば駒さえも
進みかねてはいばえつつ
降りしく雨の絶え間なく
涙に袖の濡れ果てて
これより海山浅茅が原(あさじがはら)
露霜わきてあしがちる
難波の浦にたく塩の
辛き浮世はものかはと
ゆかんとすれば東山
峰の秋風身にしみて
朝な夕なに聞き馴れし
妙法院の金の音も
なんと今宵
3・ 上杉ゅぅ
自分は意志が弱く 何かことを為すような人間ではない。
しかしそこで自分をダメだと思って
何もしなければ すなわちできることもできなくなってしまう。
一時の平安に身をまかせる日をまた一日と重ねれば
ついには畳の上で老死するだけである。


幕末の長州藩士 久坂玄瑞さんが(20のとき)
自分を奮い立たせるために書いた漢詩の意訳。

【転載です。】

久坂玄瑞さんって松陰さんの教えを
素直に守ったのですね。
何故か急ぎすぎたイメージがあります。
時代の流れと言ってしまえば
そうなのですが…
if もしも 密航などで海外を見聞したら
考え方 (急進的)が変わったのでしょうか?
2・ 飛翔 流浪
 松陰の学
『先生(松陰)は、学とは人たるゆえんを学ぶなりといっておるとおり、どこまでも真剣に人格の完成を第一ちせられたのである。
(中略)
 それには善なり、至高のことなりと認めたる上は、これを決行せざればやまず、至理のぞんするところ、死をも恐れざるの意気に満ちていたのである』

 松陰先生と教育。

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